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メッセージレジュメ 2025.1.5 「神の前に立つアブラハム」
○創世記18章16-33節
藤田田氏は、日本マクドナルドの創業者であり実業家です。クリスチャンだった母が、福音伝道者となるように願い、口の中に十(十字架)と書いて「田」と名付けました。
事業初期、アメリカ企業から3000台のラジオ注文を一方的にキャンセルされるも、大統領ケネディに直訴。結果、キャンセルは撤回されました。このエピソードは、クリスチャンの祈りは、最高権力者である神に直接訴える手段であること、現実逃避ではなく特権であることを教えてくれます。
1.「神の友」と呼ばれたアブラハム
アブラハムは割礼後で体が痛んで休んでいましたが、3人の旅人を手厚くもてなします。実は、その旅人たちは天使2人と主ご自身でした。この結果、神の祝福(サラの妊娠告知)という形で現れました。
その後、主はソドムとゴモラを滅ぼす計画をアブラハムに打ち明けましたが、その理由は二つあります。第一に、アブラハム契約(アブラハムを通して全世界を祝福する)があるため、神はアブラハムに伝える必要がありました。この契約は、聖書の中心的なテーマであり、神の計画を理解する上で不可欠です。
祝福を受けるべき民族の中からソドムとゴモラを滅ぼすことになるので、伝えたのです。第二に、アブラハムは神の友であり、友とは隠し事をしない関係です。ソドムとゴモラの罪は非常に重く、性的不道徳、傲慢、貧しい者への無関心などで満ちていました。神は裁きを下す前に、徹底的な調査と悔い改めの機会を与えましたが彼らは「回帰不能点」を越えてしまっていました。
2.祭司の務めを果たすアブラハム
アブラハムは神からソドムとゴモラの裁きが告げられた時、「主の前に立っていた」だけでなく、「近づいていった」とあります。この「近づく」という表現は、礼拝の姿勢を表しています。アブラハムは、裁きの知らせを受け、すぐに取りなしの祈りへと行動を起こします。
アブラハムの取りなしは、感情的な懇願ではなく、理論的に神に迫ったものでした。「あなたは本当に正しいものを悪いものと一緒に滅ぼし尽くされるのですか?」「全地を裁くお方は、公正を行うべきではありませんか?」と、神の公正さに訴えかけます。これは、私たちが祈る際に、感情的な懇願だけでなく、神の性質と約束を握りしめて訴えるべきであることを示しています。
試練の時には「神様、なんとかしてください」という漠然とした祈りではなく、神の約束を握り「あなたは耐えられない試練を与えないと言われた」「脱出の道も備えると言われた」と、具体的に訴えかける必要があります。
アブラハムは、ソドムの町に正しい人がいる可能性を考慮し、50人から始まり、段階的に減らしていき最終的に10人と、値引き交渉をするかのように、神との交渉を続けます。アブラハムが10人という数字で交渉を止めたのは、ロトの家族が10人以上おり、その家族は皆義人と確信していたからです。しかし、実際にはロト以外に正しい人はおらず、ソドムとゴモラの町は滅ぼされてしまいますが、ロトと2人の娘は救われました。これは、取りなしの祈りが、正しい者を共に殺すことはなさらなかったことを示します。
3.私たちの模範であるアブラハム
「アブラハムはまだ主の前に立っていた」とありますが、原文では「主はなおアブラハムの前にいた」となります。これは、神がアブラハムの行動を見守り、共に働きたいとの願いを示しています。
神が世界を治める方法として、3つの可能性がありました。
①神が100%介入する世界:問題は起こらないが、人間に自由意志がない。
②神が一切手を引く世界:弱肉強食の世界となり、自分で自分を救う以外助けがない。
③神と人が協力する世界:神が選んだ人と共に世界を動かす。
神は、3番目の方法を選びました。
神は、自分と共に働く人を求めており、聖書に沢山記されています。イザヤ書では、裁きが語られたにもかかわらず、取りなす人がいないことを神が嘆き、エゼキエル書では、神が取りなし手を探し求めても見つからなかったことが語られています。これらの箇所は、神が人々が自分と共に働き、取りなしの祈りを捧げることをどれほど切望しているかを示しています。取りなしの祈りは、単に神に願いを伝えるだけではなく、三位一体の神との深い交わりとなります。
父なる神は祈りの対象であり、私たちの心の叫びを聞いてくださる方です。
イエス・キリストは父なる神に取りなしてくださる方です。聖霊様は、祈り方を教え、祈る力を与えてくださる方です。
私たちが取りなしの祈りをするとき、父なる神に心を向け、イエス様の取りなしを感じながら、聖霊に促されて祈るのです。これは、最も霊的に豊かな時間であり、神との親密な交わりを通して、力を得ることができます。
最後に、私たちの家族、親族、友人の中で、まだイエス様を信じていない3人のために祈りましょう。これは、私たちが取りなしの祈りを実践に移すための具体的な行動です。神が私たちの祈りを聞き、彼らが救われることを期待しましょう(M.N)