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「牧師夫人の徒然なるままに」(八七九)「神は男と女とに彼らを創造された」(創世記5・2)

 まだ、私が十代の頃、従妹が「第二の性」という本を紹介してくれました。フランスの哲学者・文学者であるボーヴォワールの著書です。当時、この本は著者とサルトルとの共同生活なども煽り風になって一躍全世界で脚光を浴びることになりました。

 この本の冒頭に書かれているのは「人は女に生れない。女になるのだ」という驚くべき一文です。私の従妹はこの本にすっかり心酔していて「女らしさなどは作られたものだ」と語りました。ボーヴォワールの主張が、その後の女性解放運動に大きな影響を与えたことは言うまでもありません。しかし、ボーヴォワール自身のその後の生き様から、私は彼女の立てた仮説が崩れ去る音を聞いた気がしました。

 先日二歳の孫娘が我が家で初めてトイレでの用足しに成功しました。その時の様子があまりにも可愛かったので、書かせていただきます。孫娘はまず、トイレに入ると便器をジロジロと見まわして「うん、きれいだね。」と言いました。汚なかったら私は座らないよと言う暗黙の一言でした。そして「ちょっと臭いね」と付け足しました。私は叱られているような気持ちでした。上の男の孫たちが決して口に出さなかった言葉です。孫娘はやはりあくまでも女の子でした。女の子に育てられたのではなく、生まれながらに女の子でした。
安食道子

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