「牧師夫人の徒然なるままに」(八三六)「人生を楽しみ喜ぶ心のゆとり」
現代は家事のやり方から、お料理のレシピー、食べたいものを提供する最寄りのお店の場所、気象の細かい変動など、知りたいことがあればそれらのすべてを一瞬にして教えてくれる便利な『スマホ到来』の時代です。そこでは求める結果を即座に入手できます。
我が家では、テレビで放映される面白いドラマや映画を録画しています。夕食後のひととき、夫と共にそれを見ることもあります。過去に見たことのある映画などは、ほとんどその筋書きは知り尽くしていますが、それでも私は最初からじっくり見たいのです。夫は倍速で見たり、途中で「これ思い出したからもういいや」と言って席を立つこともしばしです。
結果がわからないから面白い物もあります。スポーツのライブ中継はまさにそれです。しかし、すでに筋書きを知り尽くしているドラマであっても、私は何度でも見返すことを楽しみます。それは、その時々に感動が新たにされるからです。役者さんの表情の一つが新しい発見だったり、背景に写る備品に時代を再確認したりと、見飽きることがありません。
御言に聞く時もまさに同じ感動です。そこにはもっと奥深くを探りたいという「ゆとり」が、必要なのではないでしょうか。瞬時に得られるものだけに慣れ過ぎないで、深みを味わうようにしたいと思います。
安食道子
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