メッセージ要約2023.8.13 「からし種の木のように生きる」

○マルコの福音書4章30節~32節
「からし種の木のように生きる(石飛恒牧師)」

 最近、私(石飛牧師)は、「アナバー」という言葉を知りました。この言葉は、日本語の「穴場」ではなくて、ヘブル語です。英語で「Anavah」というこの言葉は、ヘブル語で「謙遜」と訳される言葉です。日本では、自分を低くするとか、遠慮するなどのニュアンスがありますが、「Anavah」本来の意味は、「神様が与えてくださったそのスペースを埋める」という意味が含まれています。また「自分自身や自分の能力を、過大評価し過ぎず、かと言って過小評価し過ぎないこと」という意味が含まれているのです。このことを、私の友人の友人で、パスター(牧師)・キャリーから聞きました。キャリー牧師は、交通事故で両手両足が使えず、車いすの生活を送っており、以前は「自分はなるべく後ろに下がろう。場所を取らないようにしよう。」と自分を卑下していたが、ある時、彼女は「そんな私は、神様に全てを委ねていなかった。神様に信頼して、与えられたその自分の神様が与えてくれたスペースを十分に埋めていなかった。それは、偽りの謙遜だった・・・。そこで、聖書が教えるこの「Anavah」を自分自身が知る必要があった。」と話し、「神様が与えてくれたそのスペースを精一杯埋めることが、真の謙遜なんだ。」ということが、「Anavah」の本当の意味であることに気づいたそうです。私たちにも、この聖書が教える本当の謙遜が必要です。今日は、この「Anavah」という言葉から、聖書が教えるこの謙遜を、今日このイエス・キリストが与えてくださったからし種の木の例えを通して、学んでいきたいと思います。


1.イエスの神の国の例え

 私たちは、神の国の民です。ですから、この聖書が教える「Anavah」を欠かすことはできない。マルコ4章30節でイエスが「神の国はどのようにたとえたらよいでしょうか。どんなたとえで説明できるでしょうか。」と弟子に言いました。さらに31~32節で「それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときは、地の上のどんな種よりも小さいのですが、蒔かれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張って、その蔭に空の鳥が巣を作れるほどになります。」と教えます。このからし種の木や種、神の国とはそういうものなのだと教えているのです。

 実はイスラエルの地方のそのからし種の木というのは、背の高い木ではなく、横に広がっている木で、今までイメージしていた木とは違っていました。このからし種の木が神の国だと、イエスは言うのですが、それは、どういう意味なのでしょうか。まず、からし種の特徴ですが、地の上のどんな種よりも小さい。でも私たちは、そのイエス・キリストを信じるからし種ほどの小さな信仰があれば、イエスが言った様に大きな山をも動かせるのです。皆さんの信仰のスタートも小さな切っ掛けでスタートしましたが、今や皆さんの人生を変える大きな力、大きな働きになっていると思います。そして、からし種の種は、イスラエルの砂漠の厳しい天候の中で、その地に植えられて、そして芽を出すのです。そして大きな枝を張って、あらゆる鳥が巣をつくるのです。また、あの厳しい天候、そして水の少ないその地域で、そのからし種の木は、先ほどの写真にあったように広がっていくのです。成長することが、決して止まらない。神様の与えられたスペースを十に埋めつくしている様子が、このからし種の木です。まさに「Anavah」を体現している木なのです。粘り強く、決して諦めない信仰、どんな困難な状況においても、神様が支配しておられるのだから大丈夫という信仰を持って生きていく。そして、その張り巡らされたその枝、大きな枝にたくさんの人がイエス・キリストの憩いを得る。平安を知る。神様の力を経験することができる。そんな生き方が、からし種の木のように生きるということなのです。

2.英語のことわざ:Leave no stone unturned

 昨年末、やっとコロナも収まり、これから良くなっていく、教会の礼拝も元通りになると思っていたが、教会員が戻ってこない。教会を離れてしまった。Rise OCだけでなくアメリカ中の教会がこのことを経験した。日本でも同じだと思います。そんな逆境の中で、牧師としてこのまま続けてもいいのだろうかと不安になり、見せかけの謙遜に陥る日々でした。そんな時、NBAプロバスケットボール選手のコービー・ブライアント選手の動画で、「Leave no stone unturned.」と言っているのを見ました。直訳すると「どんな石をも全部ひっくり返しなさい。」その具体的な意味は「自分ができることを、全部やり尽くしたのか?可能性は、全部塗りつぶしたのか?」という意味でした。この言葉を今の自分自身に問いかけてみると、単純に努力が足りなかったところがたくさんあり、やれることを全部やりつくしていないことに気づかされました。そこで本来の謙遜である「Anavah」に立ち返り、次世代の育成、地域の祝福、そして日本人のための救いの3つのビジョンを持って新しくやり直していくことを決意したのです。

3.塩谷フミさんの証し

 もう一人、からし種のように生き「Anavah」を教えてくれた方は、塩谷フミさんという方です。彼女は1919年に脳性まひを持ってアメリカで生まれた日系人で、16歳の時に洗礼を受け、大きく変わりました。「自分は、このような体だけれど、イエス様に愛されているんだ。」という喜びが溢れてきたのです。しかし、太平洋戦争時に全ての日系人が収容所に入れられるという苦難も経験しました。そこで彼女を支えたのは、収容所内でのクリスチャン同士の集まりでした。讃美歌を歌い、御言葉を聞くことが、彼女の心の支えでした。その後も母を亡くす悲しみもありましたが、フミさんは、イエス様を信じる希望を決して諦めず、決して捨てませんでした。そして、いつか、私自身が完全な体となって、イエス様の前に歩いていって、イエス様に出会うんだ。その喜びを、引き続き引き続き最後まで、自分に伝えられる証しとして、ABCボードや誰かの言葉を借りて、いろいろな所で語っていきました。フミさんは、自分が与えられたそのスペースを、自分は車いすだからといって、自分はしゃべれないからといって、決してやめることが無かった。その枝を張り巡らせました。その人生は、いつも周りの人にイエス様を指し示すそんな「Anavah」の人生でした。

 今日は、皆さんにお願いしたいことが2つあります。1つは、皆さんに諦めない信仰を持って「Anavah」をもって福音を伝えてくれた方がいると思いますが、それがご家族であったり、友人であったり、その方のことを今思い出して、その方に感謝を伝えて欲しいのです。2つ目のお願いは、最近皆さんの中で、まだ埋めていない神様が与えてくれたスペースはありますか?そのことについて、考えて頂きたい。まだひっくり返していない石はないですか?もしくは、張り巡らせきれていないその枝はないでしょうか?もし、あるのであれば、ぜひ信仰を持って、その石をひっくり返していただきたい。また、その神様を信頼して、もう少し枝を伸ばしていただきたい。神様が与えてくださったその機会、またそのスペースを十分埋める。そんな人生を歩んで行きたいのです。

 今、私たちが住んでいるカリフルニアのハンティントンビーチには、春から夏にかけて黄色いからし種の花が咲き誇っています。その花がどんどん広がり、イエス様の例え話のように、中から鳥の鳴き声が聞こえてくる。これは私たちの姿であり、神様に信頼して、そのスペースを埋め尽くし、そのスペースの中で、誰かがイエス・キリストの力を知る、イエス様の憩いを得るそういった人生を、私も歩んでいきたいと思いました。パスター・キャリーや、塩谷フミさんのように、神様の国の民として、これからもこの真の謙遜を持って、これからも生きていきたいと、からし種の木としてその枝を、またその可能性を張り巡らせて神の国を現わす。そんな歩みを、これからも共にしていきたいと思います。(T・H)

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