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メッセージ要約 2024.9.29「見上げて御覧。夜の星を」

『見上げて御覧。夜の星を』 創世記15章1~6節    9/29


 心の態度を変えることによって、それまで出来なかったことができるようになったり、見えなかったものが見えるようになったりする。だから聖書は、しばしば「悔い改めなさい」と言っている。「悔い改める」とは、「方向を変える」ことである。心の態度を変えて、神様を知らないで歩んできた人生から、神と共に歩む人生に変えることにより、人生は大きく変わる。アブラムは、神様の訓練を受けながら、成長していった。今日の聖書の箇所に、彼の大きなターニングポイントが出てくる。


1.アブラムの恐れ

 神様は、いろいろな人に「恐れるな」と言っているが、今日の箇所が最初になる。「恐れ」は問題を過大評価させ、神を過小評価させる悪さをもたらす。アブラムは、神様の祝福にあずかって多くの財産をもっていたが、相続させる子供がいなかった。いったいどうなるのかということがアブラムの恐れだった。それに対する神様の答えは、「恐れるな」だった。「恐れるな」は命令形である。命令に従わないことは不従順であり、不従順は罪である。だから、恐れたり思い煩ったりすることは罪である。


2.神の約束

 恐れなくてもよい理由を神様は次のようにおっしゃった。

 1番目は、神様が「盾」になってくださるということである。「あなたが恐れている問題は、あなたが解決しなくてよい。わたしが解決してあげるから、わたしに信頼せよ。」とおっしゃっている。

 もう1つは、「主ご自身が、あなたの報いとなる」ということである。プレゼントよりもプレゼントをくださる方のほうが大切である。私たちは、神様の恵みや祝福を求めるが、恵みや祝福よりも神様ご自身の方が大切である。神様は、アブラムに「わたし自身が報いとなってあげる。だから恐れるな。」と言われた。

 しかし、このことばは、まだアブラムには届かなかった。彼はすでに100歳近い老人で、妻も90歳近い老人だった。人間的にみたら、子供が生まれる可能性は0である。でも神様は、「お前たちの間に子供を与える。だから恐れるな。」とおっしゃった。このことばが信じられないアブラムに対して、神様は、「空を見上げて御覧。お前の子孫は、この星の数ほどにしてあげる。信じるか。」と言われた。星空を見上げているときに、アブラムの心に信仰がやってきた。アブラムは、「この広大な宇宙を創った方が私の神であり、この神に不可能はない。」と信じた。アブラムは神様に信頼の告白をした。それが彼の義と認められた。


3.アブラムの信仰

 聖書の中で、神の友と呼ばれたのは、アブラムだけである。驚くことに、私たちイエス・キリストを信じた者も、イエス様の友と呼ばれる。古代オリエントでは、王の側に「王の友」と呼ばれる人がおかれた。王の友は、朝、王の寝室に勝手に入っても許され、一日の予定などを話した。私たちも王の王なる方の友である。だから、朝、王様の部屋に入り、「今日のあなたの御心は何でしょうか。今日私に何を期待されていますか。」と聞いてよい。これが朝のデボーションである。

 皆さんにも、何か神様が約束された「空の星」はないだろうか。神様は、最も信頼すべき存在である。ある人は、「祈りとは神様との友情を育む作業」だと言った。

王の王なる方の友らしく、私たちも歩んでいきましょう。

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