牧師夫人の徒然なるままに(七四八) 「しんがりとなり仕える者に」(マルコ9・35)
クリスチャンなら皆、謙遜であろうと努め、それを実践しようと心を配ります。しかし、謙遜の意味を本当に理解していなければ化けの皮はすぐに剥がれます。
本物の謙遜を体得するのは本当に大変な道のりだと思います。イエスさまは言われました。「私はあなた方のうちにあって給仕する者のようにしています(ルカ二二・二七)」そして、自ら腰に手ぬぐいをまとって弟子たちの足を洗われました(ヨハネ13)。さらには犯罪者の汚名を着せられてまで十字架の刑を受けてくださったのです。まことの謙遜を学ぶとは、そんなイエスさまのように生きることなのです。
先日礼拝時に「前列の席からお掛けください」という案内表示の一言がぐさりと心に刺さりました。私は自らが居心地の良い場所、窓際の最後列に席を取るのが常でした。あたかも「ここで全体を見渡して必要な助けをしますから」と言わんばかりに。しかし、自分にとって楽な場所であること以外の理由はありませんでした。また、私は第二礼拝の賛美チーム「すみれ隊」に所属していますが、いつも遅刻の常習犯です。牧師夫人は忙しいからという言い訳は真っ赤な嘘です。これらすべては不遜さが成せることです。イエスさまの謙遜な御足の跡は私にはまだまだ遥かに険しい道のりのようです。
安食道子