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メッセージ要約 2024.1.28

○創世記6*1~8

 今日の箇所は、神様から離れてしまった世界はどんな世界になってしまうのかについて語っている。人類はアダムとエバから始まり、二つの流れができた。不信仰の流れ(カインの子孫)と信仰の流れ(セツの子孫)だ。しかし、ここでは信仰の流れの影がどこにもない。いったい何が起こったのか。

Ⅰ 悪が蔓延する世界

 5節には、主がご覧になったことが書かれている。①「人の悪が増大し」…「悪」とは乱暴や暴力のことだ。あちこちで暴力事件が起き、しかも増えていた。②「その心の図ることがみな」…行為だけでなく心の中も悪が満ちていた。直訳すると「心の思いの形がみな」となる。「心」は感情、「思い」は知性、「形」は意思をそれぞれ表している。つまり内面を見ても悪に染まっていた。③「いつも悪に傾く」…改善の余地がないほど悪がエスカレートしていた。カールヒルティの「二度目の法則」では、良いことでも悪いことでも1回目よりも2回目のほうが簡単になるという。悪事は最初にするときはハードルが高いが、一回成功すると味を占め、次々やっているうちにハードルが下がっていく。善行も同様だ。電車で高齢者に席を譲るときなど。しかし、この時代は悪の方に向かい、悪がエスカレートしていた。

Ⅱ 堕落した世界の原因

 どうしてこうなったのか。その理由が2節だ。「神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、それぞれ自分が選んだ者を妻とした。」いろいろな解釈がある。①神の子らとは信仰の人セツの子孫で、人の娘たちとは不信仰のカインの子孫と解釈する。結婚を通して信仰の人たちが不信仰の人たちに吸収されていった。②神の子らは堕落した天使(悪霊)で、人間との間に子供が生まれる。そういう者が世界を支配したからだ。しかし、悪霊が人間との間に子供を生み出すなんてありえない。①②の解釈には無理がある。

③神の子らとは「神に造られた男たち」と訳せる。この男とは「ネフィリム」という人たちだ。暴力で人を支配する者たち・弱者を虐げる者たちという意味で、非常に暴力的な人間だ。こういう人間が登場し、結婚を通して増えていき、悪が増大したのだ。現代でも暴力で世界を支配した者がいる。ヒトラー、スターリンなどだ。もし彼らが世界のリーダーになったら、自由がなくなり、逆らうと殺される。だから信仰ある人たちはこの時代に生きられなかったのだ。

Ⅲ 神の介入

「それで主は,地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。」(6節)「悔やむ」とは、息を吐く、嘆いてため息をつくという意味だ。造ったことを悔やんだのではなく、人間が悪に染まっていく姿を見て心を痛められたのだ。そして「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。・・・・」(7節)この後、ノアの大洪水という神の裁きが起こる。「わたしの霊は、人の内に永久にとどまることはない。人は肉に過ぎないからだ。だから、人の齢は百二十年にしよう。」(3節)この百二十年とはノアの大洪水が起こるまでの執行猶予期間で、悪に気づいて悔い改めるかもしれないと神様が与えてくれた温情だ。このような心を痛める世界に一筋の光があった。「しかし、ノアは主の心にかなっていた。」(8節)ノアの存在は、絶望の中にあっても神に信頼すれば乗り越えることができるということを教えてくれる。救いは信仰によってなされる。御言葉によって自らの信仰を成長させようではないか。(T・M)

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