礼拝メッセージ要約 2023.6.11 「特別な存在としての人間」
○創世記1章26節~2章4節
聖書は「はじめに神が天と地を創造された。」というこの宣言から始まります。聖書が教える神は、それは、私たち人間が作った神ではなくて、私たち人間をお造りになった神だというのです。1字違いで、メッセージが全く違う。人間が作った神ではなく、人間をお造りになった神。それが、バイブルの神様です。しかし、日本では、そんなことを言うと、大抵バカにされます。それは、学校教育で進化論を絶対の真理かの様に教えられているからではないか。ナチスの宣伝大臣ゲッペルスが「嘘でも、100回繰り返せば、人々は信じるようになる。」と言ったそうですが、マスコミ等を通じて、何度も「人間は進化してるんだ。」と流されると、そう思ってしまうものなのです。しかし、現代の最新科学では、ガンや奇形を抑制するP-53遺伝子など、進化や変異を抑制する遺伝子が見つかっており、進化論の仮設としての間違いが解ってきています。それに対し、聖書は、ハッキリと初めから神様が、種類に従って、動物も鳥も魚もいろんな種類がありますが、その種類に従って、初めからお造りになったと言っています。今日は、創造主なる神様は、なぜ私たちをお造りになったのか。何のためにお造りになったのか。ということを一緒に学びたいと思います。
1.神のかたちに似せて造られた人間
神様は26節で誰かと相談して「人をわれわれの似姿に造ろう。」と言っています。このわれわれとは、神様ご自身の人格の中に交わりがあったということであり、父と子と聖霊の「三位一体の神」が、「我々の形に人を造ろう。」と。だから聖書は、初めから、三位一体の神であることを私たちに伝えてくれているのです。人間だけが、神の形、あるいは、神の似姿に造られている。これは、どういう意味かというと、人間だけが、特別に造られた存在だということです。その証拠は何かというと、人間だけにある使命を、神様から与えられているからです。26節「海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」28節「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」神様が造った完璧な世界を、守り、管理しなさいという使命を神は人間に与えてくださっているのです。またその責任を全うするための知恵も力も神様は、用意なさってくれました。神様は六日間かかって、すべてのものをお造りになって、7日目にお休みになった。これは、人間のためです。人間は6日目の一番最後に造られました。で「管理しなさい、支配しなさい」という使命が与えられたんですね。だから次の日、早速そのために働きに行ってもよかったけれど、神様は、ストップをかけられたんです。そのままじゃ無理だよと。「先ず、神を礼拝する。神から力を受ける。そのことをしてから、この使命に出ていけ。」だから、人間にとっての第1日目は、7日目です。それは、神様を礼拝する日なんです。それは、使命を全うするための力を神様から頂く日、車で言えば、ガソリンを満タンにする日です。
この自然界を管理するという使命は、あくまでも、神様と私たちとの関係が、正常な関係の中で行なえることです。しかし、その創造主なる神様を、忘れてしまった現代社会の人々は、自然破壊を行っています。環境破壊や異常気象でいろんな所で自然が呻いてます。これは、人間が創造主なる神様から離れてしまった結果、自然を治めることに失敗した一つの証しです。
では、神様は私たちを何のためにお造りになったのか。イザヤ書に「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造した。」とあります。神様は私たち人間を名前で呼んでくださるほど、特別な存在として見てくださっており、私たちは、神の栄光を現わすために、神様の愛、神様の偉大さ、神様の優しさ、神様の寛容さ、神様の忍耐、そういうものを私たちが、まだ神様を知らない世の中の人に示すために私たちは造られたのです。
しかし、人間は、どこかで間違ってしまいましたね。今人間が作り出している世界は何ですか?戦争です。争いです。妬みです。同じ人間同士が、ミサイルを飛ばしあって殺し合っている。ダムを壊して、多くの人命が失われている。本当に悲しいですね。どこかで間違ってしまったんです。
2.神は私たちを再創造してくださる
イザヤ書の43節の7節「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造した。これを形造り、また、これを造った。」をもう一度見ると、創造の「造」がつく言葉が3回使われていますが、旧約聖書の原語はヘブライ語で見ると、3つとも違う言葉なんです。最初の「創造した」(ヘブル語)バーラー(神の創造を示す)、2番目の「形造り」は「ヤーツァー」。外見を整えるって意味です。そして最後の「造った」は「アシャー」で、完成するという意味です。ここにどういうメッセージが込められているかというと「最初神様が造られた人間は、完璧だった。それが何かの問題があって壊れてしまった。だから、神様は、もう一度造り直さなければならなかった。神様は、壊れてしまった私たちの神との関係を、もう一度回復するために、やって来られた。便利なスマホも電池が切れると、動かなくなってしまい、充電が必要です。その時、電源とつなぐコードが必要です。このコードがイエス様です。壊れてしまった私たち、もう一度電源である神様とつなぐために、コードとしてイエス様がやって来られたのです。私たちは、神の栄光のために生き始めると、「ああ、そうだ。私はこのために生まれてきたんだ。」と思えるのです。そのために必要な力と知恵を日曜日の礼拝で神様から頂き、神の栄光を現わす歩みを、今週も続けていきたいと思います。(T・H)