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「牧師夫人の徒然なるままに」(八六五)「イチジクの木の下で(山浦玄嗣著)」(その1)
皆さんは福音書に登場されるイエスさまとどれほどの距離感で接しておられるでしょうか。もちろん個人差があるでしょうが、それは講演会での講師の方との距離感ぐらいでしょうか。旗を振ってお出迎えする皇室の方々との距離感ぐらいでしょうか。
イエスさまは私たちを「友」だとおっしゃいました。けれども、私は自分の周辺のお友達に対するのと同じレベルでイエスさまと接することなどできません。福音書に登場するイエスさまは、いつもスクリーンの向こう側におられて、こちらを向いて語り掛けてくださいますが、やや霞のかかったお姿でしかありません。
友人が表題の書物を貸して下さいました。著者の山浦さんは医師であり、言語学者です。そして、御自身の出身地気仙沼で語られている言葉を「ケセン語」と名付けました。そして、福音書の場面を「ケセン語」で表すことで独自の翻訳を試みられました。
この著書を読むと、イエスさまが突然目の前に生きているお方として出現しました。スクリーンから飛び出して「道子や」と気安く呼び掛けてくださるような気がしました。思えばイエスさまは確かに弟子たちとその地方の言葉で親しく会話されていたのです。それを教えてくれる不思議な力の著書でした。私は、もっと話し言葉でお祈りをしてみようと思いました。
安食道子