見出し画像

メッセージ要約 2023.12.31 「エベン・エゼルの神」

〇Ⅰサムエル記7章1~12節

1 なぜ石は置かれたのか?

 江戸時代、幕府は街道を整備した時に「一里塚」を置いた。旅人は、「一里塚」を目安にして一息ついた。今は、ここに「一里塚」があったという記念碑が立っている。

今日の聖書箇所でも、サムエルが、ミツパとエシェンの間に石を置き、「エベン・エゼル」という名を付けた。サムエルはどうして石を置いたのか。

イスラエルには、石を置くことに特別な意味があった。

例えば、ヨシュアがヨルダン川を渡った後に石を据えたのは、後になって子孫達が「この石はどういうものですか」と尋ねた時、「これは、神様が昔、私達の先祖を守ってくれたしるしだ。だから、お前達はこの石を見る度に、主をたたえ、主に栄光を帰すべきだ。」と教えるためである。<ヨシュア記4:7>

また、ヤコブは、石を枕に夢を見た後、「ここは神の家にほかならない。ここは天の門だ。」と、枕にした石を取り、それを立てて石の柱とし、柱の石に油を注いだ。また、その場所をベテルと呼んだ。後の時代に、人々がベテルを訪れて石を見た時に、「神様がヤコブを守ってくださったように、神様は私達も守ってくださる。これは、そのしるしだ。」と理解した。<創世記28:17-18>


2 私達が石を置くべき理由

私達もまた、人生の旅路に石を置くべきではないだろうか。そしてそれを「エベン・エゼル(助けの石)」と名付けてほしい。その理由は、私達は、否定的な事はよく覚えているが、良かったことを忘れやすいからである。だから聖書も「主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな」<詩篇103:2>と言っている。2023年を振り返って「エベン・エゼルの石」を置いてほしい。良いことが無かったという人も、神様はすべてのことを良いことに変えてくださっているので、プラスのことが必ずあるはずである。「感謝する」とは「ユーカリステオー」で、「感謝のことばを述べる」という意味である。それは、感情とは無関係である。しかし、感謝のことばを述べていると、喜びが引き出される。「エベン・エゼルの石」を置くことによって、幸せな気持ちで年末を迎え、新しい年に対して希望をもって歩みだすことができる。

「エベン・エゼルの石」を置く理由は、自分のためだけではなく、私達の子どもや子孫のためでもある。

三浦綾子さんは、小学3年生の時に1年間だけ教会学校に通ったことがある。その後教会を離れたが、断片的に記憶が残っていて、「わたしは思う。三つ子の魂百までという諺のとおり、幼い日に神と祈りを知ることは、その一生を結局は支配するのだと。そして、親が自ら子にそれを知らせ得たら、それは親子共にどんなに幸いであろうかと思う」と述べている。

世界で初めてデパートをつくったジョン・ワナメーカーは、子どもの頃貧しかったので、レンガを積む仕事をしていた。一緒に働いている人達が低賃金の単純作業であることに不平を言う中、彼は、世界で一番素晴らしい教会堂を建てる仕事をしているという意識をもっていた。このように自分のやっていることを1つ1つ感謝して、着実に物事を進めていく人が、デパート王になる。

みんながデパート王になるわけではないが、「エベン・エゼルの石」を置き続けるならば、誰でも人生の成功者になれる。そして、私達が置いていく石を見て、私達の子どもや子孫が希望と勇気をもって神様を信じる信仰へと導かれる。

2023年も残り僅かとなったが、1年を振り返って、1つ1つに自分の「エベン・エゼルの石」を置いていってほしい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?