メッセージ要約 2023.9.17 「あなたの心の中心にあるもの」
○マルコの福音書13章1節~2節「あなたの心の中心にあるもの」(安食滋良牧師)
私たちがいくら執着しても、目に見えるものは、いつか無くなっていきます。今日は、十字架に付かれる直前のイエス様の場面から、エルサレム崩壊について、イエス様が預言される箇所を今日は見ていきたいと思います。
1.エルサレム崩壊の預言
前回イエス様は、神殿で自分の全ての生活費を献金に捧げているやもめの純粋な信仰に感動しましたが、神殿を出たところで、弟子の一人が「先生、ご覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。(1節)」と言って、エルサレムの神殿(第二神殿)の豪華さをほめたたえます。この神殿は、紀元前957年にソロモンが建てた第一神殿ではなくて、バビロン捕囚から帰ってきたイスラエルの民が、ゼルバベルという指導者のもとで建設した第二神殿でした。その後、幼いイエス様を殺そうとしたヘロデ大王のもと、大規模な拡張工事が行われ、全面が金(ゴールド)で覆われた絢爛豪華な第二神殿を立て上げたのです。しかし、そう言った弟子たちに対して、イエス様は、信じられないような預言をします。「ここで、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることは決してありません。(2節)」つまり、神殿の石は崩されて、跡形も残らないという預言です。このイエス様の預言は、紀元70年ローマ軍によって、エルサレムが攻められて、神殿も燃えてしまうことで成就します。ローマ兵たちは、エルサレムを去る時に、神殿の石を全て倒して去りました。それは、火事で燃えた金が溶けて、石と石の間に流れ込んだからです。ローマ兵たちは、その金を取るために、神殿の石を崩して金を持ち去っていったのです。
2.神の前に立つ時問われること
では、私たちは、この箇所から何を学ぶのでしょうか。なぜ紀元70年に神殿が、ローマによって崩壊したのでしょうか。それは、当時の人々の不信仰によって、それがもたらされたと言われています。このきらびやかな神殿は、当時のイスラエルの人々、特に中心的な指導的な立場にあったパリサイ人の当時の信仰を良く現わしていました。ヘロデが拡張を行なった第二神殿は、本当に見た目は豪華でしたが、この第二神殿には一度も神の臨在が宿ることはなかったと言われています。同じように当時のパリサイ人たちは、見た目は、宗教的に立派に見えました。しかし、彼らの中身は本物の信仰がなかった。見かけだけの信仰であったということです。そして彼らは、救い主であるイエス様を、否定したのです。彼らは、神殿の王座に座るべきお方を排除した。イエス・キリストを否定したが故に、イスラエルは、その後滅びの道を辿ってしまうわけです。
それは、現代に生きる私たちにも同じことが言えます。日本人は元来、大いなる存在に畏敬の念を持つ。そのような宗教観を持っていましたが、現在では、科学が発達し、目に見えない神や霊的なものは、軽視され、そのような思いは失われつつあります。人が大いなる存在=神を忘れて歩む時、人は、その罪の性質故に、自身の欲望を優先して歩むようになってしまうのです。道徳的な指針は失われて、それぞれ自分勝手な道に、歩んでいくようになる。そして社会のモラルは低下していくようになります。
しかし、イエス・キリストを救い主として受け入れる時、聖書の教えという揺るぎない道徳的指針を、私たちは知り、神様と共に歩む中で人生の虚無感、絶望から解放され、神様の守りの中で、喜びのある人生が開かれていく。この地上の人生においても、滅びから引き戻されていくのです。また、神を信じること、イエス・キリストを信じることは、この地上の人生だけでなく、死後の行き先も大きく変えるものです。イエス様は、すでにその救いを完成し、私たちの目の前に差し出してくださっています。私たちは、その救いを受け取り、この地上の人生また死後の永遠を生きる者でありたいと思います。
3.心の中心に何をおくか
今日のエルサレム神殿を、私たちの体に例えると、きらびやかなエルサレム神殿が、多くの人々を惹きつけた様に、私たちにも多くの人々を惹きつける賜物、能力や才能というものが神様に与えられています。問題は、私たちがその神殿(体)の中心に何を置くかということです。ある人は、その神殿に自分自身を置いて、その賜物を自分自身のために使います。しかし、それらを自分のために使うなら、手に入れた名声もいつか朽ち果てていってしまいます。私たちには、それぞれ神様から賜物が与えられています。そもそも賜物とは一体何でしょうか?マタイの福音書でタラントの例え話がありますが、その中で、預けられた賜物を、どのように管理したのかというものが神様に問われる場面があります。つまり、賜物とは自分の所有物ではなく、神様から預けられたものなのです。私たちは、イエス様を心にお迎えして、与えられた賜物を、神様の栄光を現わすために用いる者でありたいと思います。そして、やがて必ず神様の前に立つ時、「よくやった。良い忠実なしもべよ。」そう言ってもらえるように歩む者でありたいと思います。(T・H)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?