メッセージ要約 2024.5.26 「愛のマント」
○創世記9*18~29
ある教会の入口で黒人の少年が泣いていた。肌が黒い人間は入れないと言われたそうだ。「じゃあ、私も入れないね。」とイエス様がおっしゃった。イエス様はユダヤ人で肌が褐色だったから。実は今日の箇所は、黒人差別や奴隷制度の根拠となった箇所だ。
ノアには、セム、ハム、ヤペテという三人の息子がいて、その三人から全世界の民が分かれ出た。だからすべての人類は、アダムの子孫であり、ノアの子孫だ。セムの子孫はユーフラテス川流域(中東)に住んだ。ハムの子孫は南に行きアフリカ大陸に広がった。ヤペテの子孫は北に向かいヨーロッパ大陸に広がった。
1 ぶどう酒に酔ったノア
大洪水後、神は自然界を祝福し、豊かに収穫できるようになった。ノアは、農作業に励み、ブドウ畑を作った。そしてブドウ酒を作ったが、飲みすぎて酔っ払い、裸になって寝てしまった。大失態だ。酒に酔うと理性を失い、普段しない失敗をしてしまう。聖書はお酒の害について昔から警告している。箴言では、ぶどう酒はあざける者を生み出すことや様々な害について訴えている。また、パウロは、「ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。」(エペソ⒙)
と言っている。「酒は百薬の長」と言われるが、これは中国の古典を引用したもので、その後に「されど万病のもとい」とつながる。かつて、お酒はちょっと飲んだ方が健康にいいと言われたが、最近の研究データでは、少し飲んだだけでもガンや糖尿病のリスクが上がるらしい。酒は一切飲まない方が健康にはいいそうだ。
2 息子たちの対応
父親の裸を見た三人の対応が後の子孫の運命を左右した。まず、父の裸を見たハムが他の兄弟に見に来るよう告げた。ノアは酔いがさめた後、ハムがしたことを知り、「カナンは呪われよ。兄たちの僕となるように。」と言った。カナンとはハムの末の息子だ。ハムと一緒に父の姿を笑ったのだろう。カナンの子孫がカナン人となる。ではなぜ、父親の裸を笑っただけで子々孫々まで呪われたのだろうか。実は、裸を見たの「見た」は、婉曲的に「汚す」を意味している。つまりハムは父の体を汚したのだ。汚らわしい行為をしたのだ。だからこれほどの厳しい呪いの言葉が掛けられたのだ。
さて、ほかの二人の兄弟はどうしたか。上着を取って後ろ向きに歩き、父の裸を覆った。彼らは顔を背け、父の裸を見なかった。神様は二人のしたことを大いに喜び、二人とその子孫を祝福された。これは現代の私たちの教訓となる。人の失敗や失態をネット等で拡散する人がいて、悲劇を生んでいる。私たちは人の弱さゆえに犯した失敗や罪をどうするか。セムやヤペテのように愛のマントで覆ってやる必要があるのではないか。
3 祝福と呪い
「カナンは呪われよ。兄たちの僕となるように。」確かにハムの子孫の中に後の黒色人種が出てくる。これをもって黒人差別容認はおかしい。ハムの子は4人いる。クシュはエチオピア人、ミツラエムはエジプト人、プテはリビア人、カナンはカナン人のそれぞれ先祖だ。呪われているのはカナンだけだからだ。
セムには「ほむべきかな。セムの神、主。カナンは彼らの僕となるように。」この後、セムの子孫にアブラハムが出て、今日のユダヤ民族の先祖となる。そして私たち全人類の救い主を生み、聖書も遺してくれた。世界すべての民族の祝福となっている。ヤペテには「セムの天幕に住むようになれ。・・」ヤペテの子孫はヨーロッパ地域に広がり、キリスト教国になる。
ところで、この世界で最大の愛のマントを持っている人を知っているか。それはイエスキリストご自身だ。十字架で死なれ私たちの罪の身代わりとなって罰を受けてくださった。そしてイエス様は愛のマントを私たち一人一人にかけてくださり、「愛してるよ。元気を出して。」とおっしゃっている。私たちの教会も、愛のマントを使って裁きあわない教会にしよう。どんな嫌なことを見ても赦し合う愛のマントをかけよう。相手の欠点をかばう愛のマント。私たち一人一人が愛のマントを使うことに喜びを感じる体質に変えていこう。 (T・M)
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