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「牧師夫人の徒然なるままに」(八七五)「誘惑に負けないために」

 先日思うようにことが運ばない事件が起きました。一生懸命に準備してきたことが、発表の機会を得ることなく葬られてしまいそうになったのです。思わず心に沸き起こってきた無念さと、怒りで、私は大声で叫びそうになりました。

 けれども、善処しましょうと請け合ってくれた周囲のことばを信じることにして、爆発しそうな思いを抑えることにしました。「信頼して待とう!」と自らに言い聞かせて過ごすことにしました。

 にもかかわらずです。時折りふつふつの沸き起こる疑念と、怒りに心が蝕まれました。「なぜ、一生懸命にやってきたことが無視されてしまったのだろう?何故認めてもらえなかったのだろう?」と。

 このふつふつと沸き起こる思いというのが本当に曲者でした。もし、森の中にでも入れたら、もしくはあたりに何もない砂漠のど真ん中にでもいられたら、大きな穴でもあけて「王様の耳はロバの耳!」のごとく私の思いのたけを叫びまくりたいと思いました。けれども、黙して待つしか仕方がありませんでした。

 悪い思いへの処方箋はその思いから「目をそらすこと」だと教えられています。そのためには先にあるもっと「良き事」に目を向け信頼するしかないのです。それが出来ることこそが信仰の成熟だと思えます。
安食道子

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