メッセージ要約2023.7.30 「引き返す愛」

〇使徒の働き14*19~22

1 山あり谷ありの人生
 大使徒パウロの宣教はどこに行っても大成功だったと思われがちだが、苦難と成功が繰り返された生涯であった。初期の伝道旅行は、多くの人が信仰をもつとユダヤ人たちが来てパウロを追い出すので、しかたなく別の町に行くという形だった。パウロが、リステラで足の不自由な人を癒す奇跡を起こすと、多くの人が信仰に入った。リバイバルの予感がしたが、パウロを追いかけてきたユダヤ人たちが群衆を抱き込み、パウロを石打ちにした。石打ちは当時の死刑の方法である。死んだと思われたパウロは町の外にゴミのように捨てられた。これから素晴らしいことが起きると思っていた弟子たちは、どうしてこのようなことが起こるのかと青ざめたに違いない。このような働きの背後には、神様の業が進んで神様の民が栄えることを嫌がるサタンの働きがある。サタンは、クリスチャンが成功して油断している時を狙っている。私たちは、物事がうまくいっている時こそ、自戒すべきである。


2 逆転の神


 神様は、十字架がそうであったように、サタンの勝利のように見えることも、栄光に変えられる。

 1818年のクリスマスイブ。モールは、自分の教会のパイプオルガンが壊れて使えなくなってしまったことに途方に暮れたが、急いで詞を書き上げ、グルーバーに作曲を頼んだ。グルーバーは一晩で曲をつけ、クリスマス礼拝で、ギターの伴奏で「きよしこの夜」が歌われた。人々は、今年は1番よくないクリスマス礼拝になると思ったが、人生で1番素晴らしいクリスマス礼拝になった。

 現代、コロナ禍によって、礼拝の出席者は激減した。しかし、みんな家で聖書を読み、デイリー・マナを使って、ディボーションをするようになった。当初100人だったのが、現在560人が使っている。これは、峰町キリスト教会の礼拝出席者より多い。

 神様は、いつも、私たちを苦しめるような働きをご自身の栄光へと変えてくださる。


3 「引き返した」パウロ

  死んだと思われたパウロだったが、奇跡が起こって立ち上がった。瀕死の重傷で絶対安静の状態にもかかわらず、パウロは、自分を殺そうとした人々がいる町に戻って、福音を宣べ伝えた。

 パウロは、なぜ引き返したのか。

 パウロが死ぬ覚悟をして戻った理由の1つは、自分が彼らに福音を語るチャンス、彼らが福音を聞くチャンスが、もう二度と無いかもしれないと思ったからである。私たちは、案外チャンスはあると楽観的すぎるのではないだろうか。

 もう一つの理由は、その町に残っている教会のクリスチャンのためだった。パウロは、「私たちは、様々な痛みや苦しみをとおることがあるけれども、神様が守ってくださるから大丈夫」ということを命がけで弟子たちに伝え、励ました。

 私たちも、どこかで引き返さなければいけない時があるかもしれない。イエス様は、あなたの前を通り過ぎることなく、引き返して、あなたを助けてくれた。だから私たちも、その愛をもって、誰かのために引き返しましょう。

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