メッセージ要約 2023.7.9 「死後の復活はある」
○マルコの福音書12章18節~27節
皆さん、サスペンスドラマはお好きですか?2011年、カリフォルニア州立大学、心理学部が大学生30人を対象に調査した結果、予め犯人を知らされた状態で推理小説を読んだほうが、読書を楽しめたということがわかりました。結末を知っていることで安心し、散りばめられている伏線を探したり、犯人の言動をより注意深く見守ったりすることができ、物語をより広い視野で見ることができたからであると考えられます。
私たちの人生においても同じことが言えるかもしれません。もし皆さんが、死後の行き先が分かっているなら、安心して自分の人生を見つめることができるのではないでしょうか。
今、イエス様の十字架までの最後の一週間を学んでいます。前々回は司長たちとパリサイ人たち、前回はパリサイ人とヘロデ党の人たちから、イエス様は挑戦を受けてきました。そして今回はサドカイ人の挑戦を受けています。
1.サドカイ人たちの立場 死者の復活はない
「サドカイ人」は旧約の初めの5書、モーセ5書のみ、神の権威があるとしていました。彼らはイエス様への群衆の支持を失わせるため、論争をしかけてきたのです。
申命記25章『もし、ある人の兄が死んで妻を後に残し、子を残さなかった場合、その弟が兄嫁を妻にして、兄のために子孫を起こさなければならない。』とあります。では、七人の兄弟がことごとく、このような出来事を続けた場合、復活の際、元長男の妻は彼らの誰の妻になるのでしょうか。七人とも彼女を妻にしたのです。死んだ後、復活があるなら複数の夫がいた妻はどうなるの?復活があるなんて馬鹿馬鹿しいでしょ??ということです。
2.イエスの答え 死者の復活はある
イエスは、サドカイ人たちに、「神の力を知らない」「聖書を知らない」から復活を信じられないのだ、と言いました。
「神の力」:復活はある。そして復活の体はイエスを信じる者に与えられる。そしてその体は、地上の体と違い永達に存続し、死ぬことがない。天国では天使のようであり、結婚というシステムはない。
「聖書」:<出エジプト記3章6節>モーセに対して神は、「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と、現在形で言っています。人の目に死んでいる三人は神の目には生きているのです。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。あなたがたは大変な思い違いをしています。」
こうして「死者の復活」についてのサドカイ人との論争はイエス様の勝利に終わりました。
神の言葉である聖書は新しいものでも二千年前に書かれたものですが、現代でも世界で不動のベストセラーであり続けています。その理由の一つは、多くの人に、死の暗闇の先にある、天国という希望、復活の希望の光を与え続けてきたからであると言えます。それがイエスキリストの十字架の死と復活の救いなのです。
誰でもイエスキリストの十字架の死と復活が自分の罪を解決するためであったとただ信じ、受け取るならば、罪は赦されて死後復活の命に預かることができる。そして死の先に天国での再開の希望が与えられるのです。
いつ命が亡くなるかわかりません。しかし死はすべての終わりではないのです。イエス・キリストを信じる者には復活の希望があります。私たちはもはや死を恐れる必要はないのです。死は素晴らしい世界への入口にしか過ぎません。
ヨハネ11章25節「わたしは、よみがえりです。命です。わたしを信じるものは死んでも生きるのです。」
(H・T)
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