「牧師夫人の徒然なるままに」(八一四)「この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めている」(へブル13・14)    

 創造主の御配慮が素晴らしいと思わされることの一つに「この世では困難が避けられないこと」があると思います。もしも、この地上生活から困難が取り去られたら、人は果たして天国への希望を抱くでしょうか。 

 先日、とあるデパートで買い物をした折に、店員さんから「くじ引きをしていますから、このレシートを持って行って下さい」と言われました。指さした方向を見ると、結構な行列が続いていました。とりあえず並んでみることにしました。ようやく私の番になったので、レシートを見せると、主催者さんの視線が私のカバンに向けられ「ところで、スマホは?」と問い掛けられました。「はい、私は持たない主義です」というと「あら、ごめんなさい。このくじはラインでしていますので、お持ちでないならできません」と。

長い行列を待った時間のロスをどうしてくれるのかしら?と少なからず憤りながらも、再確認しました。「私のこの世での楽しみの時はもう終わった!電子機器に汚染されたこの世に何の未練などあるものか!」

 ますます、住みにくくなってきたこの世です。でも、この時代に老年期を迎えていて本当に良かった。天の都が近づいているからです。「主よ、来たりませ」です。

安食道子

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?