「牧師夫人の徒然なるままに」(八〇一)「私のたましいは、それをよく知っています」その2(詩篇139・14)
年を取ると自分勝手に話題を独占してしまう傾向があります。忘却力が増すので、思いついた時にすぐに行動に移さないと忘れてしまうからというのがその理由です。私も最近、そんな自分を発見して大いに反省しています。
礼拝後の短い時間に、どうしてもお伝えしておきたい事柄などがあって、その人のもとに駆け付けると、熱心に第三者とお話し中です。本来なら、話し終わるのを待つのが礼儀です。ところがその会話を遮って私は自分のお伝えしたいことを話し掛けてしまうのです。人は皆、会話を中断されて心地よいわけがありませんから、私は大変に失礼なことをしてしまっているわけです。申し訳ないことです。
そんな行動に私を走らせる要因は何だろうと考えます。自己中心や不遜な思いはもちろんのことですが、更に「人生への焦り」があるような気がいたします。ゆとりがないのです。心の肥やしが足りないのです。
つまりは、心が「下塗り」されていないからこのような焦りが出てくるのでしょう。美しいものにもっと触れる機会を作ること、人の心の機微に触れるような読書を積み上げること、そして、何よりも「主なる神さまとの祈り」を充実させて、下塗りをしましょう。
安食道子
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