「牧師夫人の徒然なるままに」(七九四) 「すべての人に開かれた教会とは?」その2
近年、伝統的だと言われてきた教会が「伝道」のためを名目に、大きく様変わりしつつあるようです。十字架を見ると警戒されるからと、それを外してしまう教会があると聞きます。福音とは無関係の集会を開くことで人集めに奔走する姿もあると言います。女性たちがオートバイに乗って走り回ることで交流を深めながら福音もお伝えしようとする集会もあるそうです。それらの試みがどれだけの成果を上げているのかは詳しい資料がありませんので即断はできないのですが、何かしら疑問が残ります。果たして、それをイエスさまはどう見ておられるのでしょうかと。
最近は人と人との摩擦を避ける傾向が顕著ではないでしょうか。下手に亀裂を生じさせると事件に発展するかもしれないから、生ぬるい言葉で表面を取り繕った関係で済ませようと。
教会活動にもそんな風潮が及ぼす影響はぬぐい去れないのかも知れません。ふんわりと、柔らかく包んでこの世の流れと変わらないのだよという安心感を与えながら教会になじんでもらおうというのがそれです。しかし、本当にそれでよいのでしょうか。
耳当たりの良い言葉で、行き過ぎた配慮をしても、それが果たして本当に福音伝道に良い作用をするのでしょうか。聖書に照らしてみないと分かりません。続
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