仕事も家事も褒められると違和感を覚えてしまう正体
私は仕事も家事も「ありがとう」とか「すごいね」とか言われると少し不思議な気持ちになる。
モヤモヤするというか、違和感を覚える。
その理由が最近わかった気がするので、気持ちの整理も兼ねてnoteを書いてみる。
ほとんどの行動の原動力がネガティブな気持ちである
私が仕事や家事に取り組むとき、多くの場合、ネガティブな気持ちから行動していることに気づいた。
たとえば、皿洗いや洗濯を行う理由は、「溜まっているのが嫌だから、やりたくないけどやる」というのが正直なところ。
要するにネガティブな気持ちが勝っていて、やりたいからやってるのではない。
早くなくなれ、と思いながらやってしまっている。
仕事も一緒。
「この仕事が好きで楽しいから」と言うより「後々やらずにめんどくさいことになるのが嫌だから」やっている。
もはやある意味怒りに似た感情で行動していることがある。
「なぜこんなに洗い物が溜まる前に洗わなかったのか」
「なぜ先回りして仕事ができなかったのか」
そんな自分へのイライラで一気にやる。
だから「早いね」とか「ありがとう」とか言われても自分としてはイライラしながらやっているので、全く感謝される筋合いはない。
ただイライラしていただけなので。
ただ、このネガティブなエネルギーは、かなり爆発力が高いとも思い始めた。
爆発力のあるネガティブ
ただ、この気持ちが強い時非常に物事を早く終えることができる。
終わらせた一心で感情のままにやっているので「やりたくない」とか「スマホを見てしまう」みたいな怠ける気持ちや行動が一切入る余地がないのだ。
それを終わらせることだけに全力を注いでいる、故に早い。
ある意味かなり集中力が高い状態。
でもこのままでいいのか
確かに短期的な動力源になることもあるなとは思う。
しかし、それは一時的なもので、持続しない。
それこそイライラモードMAXでやった後、非常に疲れていてその後何も手がつかないなんてこともある。
要は持続性がなく、長期的にはあまり良くないのではとも考える。
その行為自体が好きな方が結果的にポジティブな気持ちでいられる時間が長いので、人生においてプラスなのでは?
全てが全てネガティブな気持ちでやってるわけではないが、体感70%の物事がネガティブが原動力で動いている。
それこそ比率が逆な方が幸せだと思うので、物事の見方や捉え方を変えた方がいいのか、など思案しながら過ごす今日。
皆さんはどうなんでしょうか。