社会制度への信頼度があればローフルでいられる

昔懐かしD&Dというルールではアラインメントがあった。

ローフルは法律やルールを守る
カオティックは法律やルールなんてくそくらえ!(失礼!)
グッドは善人
イビルは悪人

この4つの組み合わせで大まかに9象限で性格を設定するものだ。
ローフルグッドは言うことをよく聞く学級委員長
カオティックイビルは北斗の拳ノモヒカンみたいなヒャッハー
ローフルイビルは暴君の独裁政治を順守する黒騎士
カオティックグッドは鼠小僧治郎吉(仮想版)やロビンフッドのように法の外で己の正義を貫く義賊タイプ
という感じ。

で、私自身は一応ローフルグッドでありたいと思っている。決して正義の味方ではないし、ともすればトゥルーニュートラルなこともあるが。。。
ローフルでいられるのは「たとえ悪法でも正しい手順で治そうという気持ちになれる社会制度がある」と信じればこそだ。某一党独裁の暴君の国ではローフルではいられないだろう。

さて、たとえルール内容に疑問があろうともそもそもルールがある時点でそれを守るのが大原則である。ルールに不満があるからと言って国外逃亡をしたカルロスゴーンは日本ではまごうことなき犯罪者である。

放送法に不満があろうとも「受信契約義務」はある。
信書便法に不満があろうと「信書をヤマト運輸で送付」してはならない。
歴史上の出来事を判断するときはあくまでも「その当時のルールや国際法、常識」で見なければならない。当時存在しなかったルールを後から当てはめようとするとどこかの国のようにとんでもないことになる。後出しルールの援用をし続けると未来永劫歴史の再評価(という名の改ざん)をし続けることになる。

井岡選手の入れ墨も同じことだ。試合前にルールがすでに存在していた。それなのにそのルールを順守しきれなかった。また、主催者側も井岡選手の入れ墨対策の不備に気付かず試合のせいると宣言してしまった。このあたりにそれぞれの落ち度があるのではないか。

ルールの中で最善を尽くすのが良いプレイヤーだ。ルール不備の責任でプレイヤーを責めてはならない。あくまでもルール設定者の責任だ。一方でルールを守らなかった場合のペナルティは受けねばなるまい。

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ハナー
CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。