サムライニンジャ論争「ルール不備の責任は競技者に求めるのは筋違い」
2018年6月の日本サッカーについての記事
■日本の戦い方に賛否 BBCは「もっと良い方法あった」
(朝日新聞デジタル - 06月29日 02:12)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5177097
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もっと良い方法って具体的になんなのでしょうかね?(笑)
日本の決勝トーナメント進出の「パス回し」について賛否両論があるそうで。
「正々堂々とした手段にこだわるサムライ」「手段にこだわらず目的達成を重視するニンジャ」であるべきか、というのはもはや毎度おなじみのテーマ。
両論ともに一理あるからこそ議論が発生してるわけです。
「理想と現実、過程と結果、手段と目的」のどちらをより重視するか?
私は首尾一貫していてここ20年くらい意見としては不変です。
「競技者はルールの中で最善を尽くすもの。競技者がルール内の努力をとやかくいわれてもどうしようもない。ルールを変えられるのはルール設定者であって競技者ではない」
つまり、今回のパス回し、ファール無しのフェアプレイによる決勝トーナメント進出はルールの範囲内であり、むしろ競技者として正々堂々と最善を尽くした結果であるということです。
横綱の張り差しや変化、甲子園の強打者への敬遠やカット打法、ファール連発で相手を止めるサッカー、格ゲーのハメ技(笑)などなどに対する批判があります。全く同意です。
どうしてもやめさせたいならルールで禁じ、より重いペナルティを与えればよいわけです。特に「ファールで止めるサッカー」にいたっては選手の危険も高いので実際により重いペナルティがあってもよいくらいでしょう。ただペナルティが厳しすぎるとマリーシアが増える懸念はあるので、よりビデオ判定や審判の技術が問われるでしょう。
話がそれましたが、要は「ルールの不備はルール設定者に文句を言うべきもの」であって、競技者に責任を求めるのは「筋違い」ではないかということです。(個人的にはチームでのファールが10回ごとにPK1回くらいしてもよいと思う)
「ルールの範囲ならなにやってもいいのか!」という意見もありますが「ルールに縛られていないのに競技者が自主的に行うマナー」だから「スポーツマンシップなどの美しさ」があるのです。選手の範疇にあることを外部がとやかく言うのはおかしいわけで。「好き嫌い」はあるでしょうし、言ってもいいでしょうが、選手の戦い方を批判するのは違うし、戦い方の是正を求めるのは単なる「好みの押し付け」です。
ルールで禁じたのならルールを守るのは当たり前になってしまうわけでスポーツマンシップのすがすがしさはかけらもなくなるでしょう。
感じるのは自由だし、私とて理想は試合でも勝利してほしい、かっこいい勝ち方かというとそうとは言い切れない。
それでも競技者はルールの範囲内で最善を尽くすものです。ルールの不備の責任を競技者に押し付けるのはおかしなことです。
仮に馬鹿正直に試合を行い決勝トーナメント進出を逃した場合、一切の批難をしない方が果たしてどれだけいるのでしょうか?
3チームいずれも日本より格上である。格上に勝利し、番狂わせを演じようと思ったら正攻法のみではだめでしょう。そんな中で馬鹿正直な戦い方をして負けましたっていうのでは「少しは頭を使えよ」と言いたくもなります。無能な軍人じゃあるまいし「正面突撃のみ」では深みも何もあったものじゃない。
戦略的勝利=決勝トーナメント進出と戦術的勝利=ポーランド相手の試合に引き分けや勝利を目指すこと のどちらを重視するかと考えてもよいかもです。
両方達成するのが勿論理想ですが、日本とポーランドの本来の実力や格を考えると両方を望むのは危険であると。そうなれば戦略的勝利を重視するのは「大人な判断」でしょう。
特に日本人がスポーツで世界と戦う場合はもともと「体格差」という壁を抱えていることを忘れてはならんのです。
「パワーもスピードもリーチも相手が上か。だが技術と駆け引きと根性で勝負してみせる!」「不利は承知!だがそれがどうした。戦えうからには私は私の最善を尽くす!」
私はとてもかっこいいと思います。
CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。