「自爆テロ」「空爆誤爆」「カミカゼ」の明確な違い
フランスでのテロの犠牲者もシリアでの空爆誤爆での犠牲者も同じ一つの命であることには同意する。だが扱い(情報量)に差があるのはなぜか?
と言われれば「その情報から受ける影響や価値の差」だと答える。
言い換えると分かりやすい。たとえば「同じ天気」でも「明日の日本の天気」と、「明日の南極での天気」、「情報の重要度」に差があるのは明白だ。
そもそも現地から情報を得るためのコストや放映するマスコミのご都合主義(意図・偏向)、「日常と非日常の落差」など他の要素もある。とはいえ私見では「命の価値に差があるのではなくて、(受け手にとっての)情報の価値に差があるだけ」をFAとしている。
日本の交通事故死だって自殺者だって「同じ命」だがフランスやシリアでは深刻に取り上げないわけだ。受け手にとっての重要度からすればすこぶる当然のことだ。
「同じ命」という部分に囚われると見えにくくなる。
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某報道ステーションで「空爆の誤爆で死んだ一般人にとったらテロと同じ」と言っていたようだが、基本的には表現にミスがある。理不尽な暴力で亡くなったという点は共通だが、テロは明らかに「不特定多数の一般人への悪意」によるものだ。その点少なくとも「誤爆」は一般人が犠牲になることを意図してはいない。
さらに一部で「自爆テロ」と同義のように「カミカゼ(特攻)」と言う表現を使うのは噴飯ものだ。一般人、非戦闘員の日常を狙った「自爆テロ」と戦場で敵兵器や敵国軍人に対するカミカゼ(特攻)を同一視する品性の無さを疑う。
【以下自分なりのまとめ】
カミカゼと自爆テロの主な共通点は「攻撃者がおそらく死ぬ」と言う点だ。ただ、攻撃対象やTPOに大いに違いがある。そして主眼はむしろ攻撃対象に置くのが正しいと思う。「自己犠牲」と言う点に特化してひとくくりにするのは間違いではないが、雑すぎるし悪意すら感じる。
自爆テロと誤爆には「理不尽な暴力に寄る、無実の人の死」と言う共通点があるが、かといって同一視するのはやはり乱暴だ。誤爆には「誤って」という文字が入っているではないか。意図していない意味が含まれているのだ。
・カミカゼ(いわゆる特攻)=軍人による相手軍人への自爆覚悟の攻撃、戦場での戦闘行為
・自爆テロ=テロリストによる非戦闘員多数を狙った日常での行為
・誤爆=理不尽な暴力に寄る死という共通点はあれど、少なくともそれを意図したものではない(ゆえに「誤」爆なのだ。報道番組を名乗るなら言葉の意味くらい少しは考えてほしいものだ)
むろん「人死に」は忌むべきことで、悲しむべきことだ。「酸鼻」はあっても「賛美」するものではない。それが一般市民であればなおのことだし、理不尽なものは極力避けたいと思う。かといって上記を混同するような「雑な見方」では本質には到底迫れないと思う。
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