集中すべき場合と分散すべき場合
●基礎知識編
戦力集中と戦力分散のメリットデメリットは表裏一体。とりあえず思いつく6項目。
<集中:相互支援しやすい ○/分散:相互支援しにくい ×>
たとえば回復手段があるとしてそれが近接しなければダメなのかある程度離れても行えるのか。味方同士の最適距離を考える一要素になる。
近くに居ても大した相互支援手段がないなら無理に固まる意義は薄れる。
<集中:範囲攻撃をくらいやすい ×/分散:範囲攻撃をくらいにくい ○>
相手に範囲攻撃の手段があるかないか。範囲攻撃の範囲に固まるのが最も効率が悪い。相手に範囲攻撃がないなら分散する意義は薄れる。
<集中:前衛が後衛を守りやすい ○/分散:後衛を守りにくい ×>
味方に特に白兵戦に弱いキャラがいるかどうか。全員が同程度の白兵戦等能力であればわざわざ戦力集中する意義は薄れる。
<集中:白兵攻撃による各個撃破がしやすい ○ /分散:各個撃破しにくい ×>
味方の攻撃手段として白兵戦が効率的かどうか。戦力を集中することで各個撃破を狙える。
<集中:包囲をしにくい、敵に逃亡されやすい ×/分散:包囲しやすい、敵に逃亡されにくい ○>
拠点の背圧が目標で相手戦力中滅が目標でないなら戦力は集中していてよい。相手に逃亡の恐れがあり、取り逃がしたくないなら包囲するように分散する必要がある。
<集中:複数の重要拠点の維持制圧をしにくい ×/分散:維持制圧しやすい ○>
制御室とか発電施設など、敵味方の片方、あるいは両方にとって重要な拠点があるかどうか。死守すべき拠点が多く、一つでも落とされたらダメならば戦力は分散せざるを得ない場合がある。そういった事情がないなら無理に分散させる意義はない。
【総括?】
集中と分散の「どちらかが常に最善」ということは少ない。敵味方の状況や環境、それぞれの勝利条件や敗北条件によって集中が良いのか分散が良いのかは常に変わる可能性がある。まあ基本は集中から考えるべきではある。集中してはいけない理由や分散すべき理由が見えた時に分散を用いるというのが理想的だと思われる。
<「豪快なシーン全体攻撃の連発」は確かに効率的。だが、考える楽しみが少ないのも事実だ。なぜなら、対応の最適解が決まってしまうのだから>
【スポーツ類の場合】
サッカーやバスケ場どの両者入り乱れてのプレイフィールドを持つスポーツでもかなり類似したところがある。バレーやどっぢボールのようにフィールドが分割されている場合は反映度が低い。野球のように攻防の性質が分かれると集中や分散の要素はほぼ皆無となる。
【範囲攻撃や各個撃破との絡み】
こうしてみると範囲攻撃の有効性は純粋に相手のフォーメーションに依存するが、各個撃破は自分の攻撃手段と相手の配置など多様な要素を考える必要があると分かる。「回復役を先に潰せ」とか「全員の攻撃を集中できる位置にいる相手に集中する」とか。
【状況のパターン】
狭いダンジョンや相手のアジト前など「戦力集中せざる得ない状況」もあれば回転扉や密林など「戦力を分散せざるえない環境」などもある。マスターはそういうシチュエーションを使って戦闘にバリエーションを持たせるとよい。
【射程と機動も少し絡めて】
集中と分散とは違うが似た概念で『敵対戦力との距離」というのもある。敵味方の遠距離攻撃手段の充実っぷり(威力、射程、弾数、移動力)によって最適な距離というのは定まってくる。
相手が中距離を得意とするなら一挙に突進して間合いを詰めるか、むしろアウトレンジに出るか。それを支える移動力がないならば遮蔽を取ったり、作り出したり、距離や状況を錯覚させたり、戦力を分散してレンジを2つに分けてしまうなど数値をにらみつつ、数値を越えた工夫の余地を探るのが楽しい。
●応用実践編(TRPGの場合)
「理論だけ」「基礎知識だけ」を述べていてもなんなので。実践応用編もちゃんと書きます。今回はいわゆるTRPGでの事例がメインです。将棋やその他のスポーツでの事例は次回に。
「知識や技術というのは手段に過ぎない。それらを身に着けるのが目的ではない。有効に活用するのが目的だ」
【D&D VS 悪い魔法使い(笑)】
わざと戦力の半分を固めて突出させて、相手の回数制限のある範囲攻撃を撃たせる。(全員が食らうことを防ぐ)基本が大事。
【ソードワールド VS ゴブリンズ】
わざと白兵戦に弱い味方のZOCを一か所だけ解放。相手の白兵戦力がそこに殺到。その地点に罠(落とし穴)、囮はテレポートなどの脱出手段を持つなど。これも基本。誘いで相手の行動をコントロールするわけですな。相手の動きを先読みできれば有利になれる。
【アリアンロッド VS PCソーサラー】
範囲攻撃を撃つのに最適な地点をわざとあけておき、そこにプレイヤーの魔術師がつっこんできたらテレポーターで隔離というシナリオをしたこともある。ちゃんと違和感(相手がそのポイントを避けるように移動していて「不自然」だった)で見破ってくれてよかった。
【ソードワールド VS PCファイター】
さらわれた子供が悪役によって、敵陣奥にある樹木に縛り付けられている状況。悪役が人質の守りをおろそかにしているなどの違和感に気づいてもらえず、戦士が単騎強引に突出。子供の救助に来てみたらそいつはスプリガン(変身子供悪巨人)。
スプリガンの3回攻撃のうち2発がアーマー素通しとなり、戦士の戦死。
策にはまってしまったわけだが、ただロールプレイとしては美しかった。
戦士「もし彼が本当の人質だったとしたら。たとえ罠だとしても、この状況。私は行かざるを得ないのだ」
私はロールはそこまで重視しないが、いいものはいいと思う。だがいいロールだからと言って悪い結果を変えたりもしない。それ(悪い結果)を許容できるプレイヤーだったので良かった。ムギャオーする人なら全体利益のために結果を変えるかもしれないが、それをすると周囲が冷めてしまうというデメリットがある。
【ソードワールド VS PCソーサラー】
相手の乗り込んだミスリルゴーレム内部のコクピットから魔族のパイロットが飛び出してきた。シースルーで見る限り罠、仕掛けの類は「一切見えず」、コクピットに乗り込めば簡単なセージ判定でゴーレムが奪えるという状況。「なぜそんな状況で狡猾なはずの相手魔族がコクピットを飛び出したのか?」という違和感を基にテレポートで乗っ取りには来てくれな食てよかった。コクピットには無色透明な猛毒ガスが充満していた(シースルーでは見えない)。
魔術師を突出分散させて仕留める罠でした。
ヒントや情報が「達成値管理方式の箇条書き」ってのはマスターがシナリオをコントロールするためには非常に有効な手段だと評価はしている。プレイヤーにしても、あまり推理力に自信のないプレイヤーでも「情報のプロ」や「軍師様」的なことをやれるという画期的な方法だと理解もしている。まさにロールプレイ支援のシステムだ。
だが「情報収集判定で21が出たからと言って読み上げる箇条書きのヒント」よりも、断然こういう「違和感のヒント」が大好きだ。違和感を出して認識してもらうまではマスターの責任、出したヒントを見破れるかどうかはプレイヤーの責任だ。基本的にギリギリ気づけるラインまでヒントを出すべきだと思っている。このラインが人間観察などの経験則からくる職人技なので、上記の「達成値でヒントを与える方式」が主流になったのだろうと老害の一人として思っているわけだが(笑)。
見破ってもらえるとうれしいし、見破れなかったら遠慮会釈なくつぶしに行く。むろん、プレイヤーがそれを楽しめるというコンセンサスがある時に限るが(笑)。そういうのが嫌いな人にはそもそもこんな話はしないし、好きだけど苦手という人には違和感のヒントを大目に出すことで『ぎりぎり見破ってもらう」というラインを狙う。
ソードワールドの多人数バトルで時間がアホほどかかったのはこういう「駆け引き」に楽しんで付合ってくれる友人がいたからだ。敵味方の配置を見ながらメートル単位で間合いを探り合うあの感覚、あの環境が懐かしい。今更「戦場」に復帰してもブランクでズタボロにされると思いますが。完全にロートルですね(遠い目)。
まず復習がてら、戦力を集中する場合と分散する場合の視点6項目。
●集中の利点(分散の欠点)
・相互支援 ・後衛防御 ・局地戦力増強
●分散の利点(集中の欠点)
・(範囲)攻撃回避 ・逃亡退却 ・広範囲拠点維持
将棋において「戦力の集中」と言って真っ先に思い浮かぶのは穴熊である。盤の角に自玉を置き、その周囲を味方の駒でガチガチに固める。玉は露出しないので王手すらかからない。さながらフルプレートメールである(装備に時間がかかるところ、回避ができないところまで同じ)。なお、対極の「分散」は中住まいとか風車とかになるのだろう。
○相互支援視点:味方の駒同士が効きあい隙が少なく、浮きゴマがいない。各個撃破されにくい形である
○後衛防御視点:一番守りたい自玉が一番奥にいるので安全。相手はまず守備ゴマをどうにかしなければならない。
○局地戦力増強視点:戦力が密集しており穴熊の局地戦闘能力、反撃能力は高い。前もって「数の受け」が行われている状態である。相手が「数の攻め」で突破しようとするなら相応に戦力を集め、準備しなければならない。
×攻撃回避視点:密集している分、相手の攻撃をかわせる余地がない。メイスのように削る小ゴマの打撃には弱い。
×逃亡退却視点:自玉が白の最深部にいるので、城に火の手が上がっても逃げ出すのはかなりしんどい。
×広範囲拠点維持:戦力が偏っているために、自陣の逆サイドは戦力不足、手薄になる。突破されやすい。
スポーツの場合、たとえば『サッカーやバスケットのように敵味方が入り乱れるタイプのスポーツであればやはりフォーメーションが重要になる。バレーボールやドッジボールのように敵陣に踏み込めない場合はあまり参考にならないし、野球やカーリングのように攻守が明らかに分かれるスポーツではほとんど意味をなさないが。
ゾーンプレスやゾーンディフェンスはいわば分散の考え方になる。ゴール前を固めるのは集中の考え方だろう。あ、マンツーマン、マンマークは包囲でも分散でもない中間型、対応型と言えるだろうか。個々人の能力に自信があれば、一騎打ちでことごとく上回り優位に立てるかもしれない。
太平洋戦争における日本の太平洋軍事拠点にタラワ島、マキン島というのがあった。水際配備をしたタラワ島は分散、中央防御をおこなったマキン島は集中に該当する(と思う)。
なお、不利な側、格下の側は常に「戦力分散」を意識するのが起死回生の基本である。戦力の分散により、戦闘を複雑化して場を荒らすことで不確定要素を拡大し、勝機を見出す。私の父母相手の将棋も専らそうなっている(笑)。むろん、何でもかんでも分散すればよいわけではない。考えなしの分散はそれこそ各個撃破の的である。あくまでも王道、主流とすべきは勝敗分岐点への「戦力集中」である。将棋の場合、持ち駒をつぎ込むことで、さながら伏兵のように局地戦力を加算できる。
逆にいえば有利な側、格上は「戦力を集中」して戦闘を単純化すればいい。争点を絞れば絞るほどその差が明らかになっていく。
とまあ、戦力の集中と分散の要諦がわかっていれば、他にも応用が利くんじゃないかと思っている。理論上だけこね回していても仕方がない。知識や情報は手段だ。活用して自分や周囲の役にたてて初めて意味があると思う。
CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。