みんなちがってどうでもいい

■「LGBT応援映画とは、おこがましくて言えない」。映画『息子のままで、女子になる』の監督・杉岡太樹
(日刊SPA! - 06月25日 16:32)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=81&from=diary&id=6568398

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https://by-them.com/415764

lgbtqを受け入れる傲慢さ

「「自分や自分のまわりの感覚、考え、価値観こそ正しい」というようなことは絶対にあり得ない。だからいいたいんです。
人をカテゴライズするのって、なんかもうナンセンスじゃないでしょうか?」
おいおい。自分の価値観こそ正しいということは絶対にありえないというのなら「なんかもうナンセンス」という意見も疑うべきじゃないんですかね?」

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私見ですが「すべての学問は分類(カテゴライズ)」だと思っています。生物の種類にしても化学物質にしても言語も数学も哲学も「それぞれの差異」を分類して認識し、パターンに応じた対応が可能になるわけです。

「人のカテゴライズ」というのがどの程度のどの範囲を指すかにもとりますが。

嫌味とかではなく純粋に、今でも話題になっている元男性トランスジェンダーの女性競技への参加についてこれらの方がどのようなお考えを持っているのかをぜひ聞いてみたい。
男性トイレや女性トイレ、オリンピックなどの協議での男性女性というカテゴリーもナンセンスというのだろうか? たしかに男性女性の区別なく、100m走の競技をすることこそ「人類最速」を決める手段ではあるけれど。女性の100m走の金メダリストの存在意義はないのか?

「個々人に違いがあるのだからカテゴライズしない」というのは実は「個性がある」「違いがある」という事実から目を背ける行為ではないかしら? 「違いがあること」自体は単なる事実であり、差別にはつながらない。
そこに好みの違い、好き嫌いが生じることも当然の権利であり内心の自由は特に保護せずとも保証されている。ただし、外部に意思表示をする場合、特に「嫌い」については一定の制約が必要だとは認めますが。

だから「人をカテゴライズするな!」「攻撃的否定的意見を持つな」という主張は無理筋でしょう。別に誰かが反対運動などするまでもなく、こんな無理筋の主張は早晩すたれてしまうことでしょう。

「意見(特に批評批判否定攻撃的な意見)を外部表明するときは配慮しろ!」であればより自然で受け入れやすいかなと。…私のこの意見もlgbtqの押し付けに対しての否定的意見ですはありますが、別に差別する意図もないし、表現には配慮しているつもりです、はい。

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ハナー
CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。