滅びの美学VS滅ばずの美学
兄の棋風との対比を。
防御重視の父、攻撃重視の母に比べるとバランス型の兄を単純に攻防で述べるのは難しい。5段相当の兄と大差はあるが初段の私の棋風もバランス型ではある。そこで、別の基準を用いてみる。
兄の将棋は「美しく勝てないなら負けで良い」という滅びの美学を感じる。いわば自らに重圧を課し、積極的に勝負をかけ、決まらなければ負けを厭わない死の覚悟。
私の将棋は「勝つためにはありとあらゆる手段で足掻く、もがく」という滅ばずの美学がある。いわば状況を見据えて最善を探り、最後の最後まであきらめない生の覚悟。
「美しさ」対「泥臭さ」。「サムライ」対「ニンジャ」。「深さ」対「広さ」。「理想主義」対「現実主義」。「理想の勝利を追究する」か「現実の勝利を追求する」か。(究と求の差、ツイキュウの意味の違いを感じてください)
過程のカッコ良さにもこだわる兄と結果のカッコ良さにこだわる私の比較です。どちらが正しいとか間違っているではないと思います。重要なのは自分で覚悟を決めるということでしょう。そして、カタナを携え凛としてたたずむサムライに鎖鎌や吹き矢、煙玉を用意し、罠を仕掛けたニンジャが立ち向かうわけです。
・・・大抵、全部見切られて負けますけど。この25年一度も勝ててません。完全に悪役はオレじゃねーか。(笑)
スポーツ選手などで「まだまだできそうなのに早目に引退する」人のこだわりと「完全に動けなくなるまで徹底的にやり続ける」人のこだわりは異なりますが、突き詰める姿勢はいずれも美しいと思います。
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