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テレ朝・玉川徹氏に出勤停止10日間の「謹慎」処分「発言は誠に遺憾」篠塚社長 電通には謝罪
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ある人物をどう評価するか

最近ではやはり安倍首相だとか香川氏が想起される。
普通に考えれば彼らのような著名人に限らず、我々一般人とて
「ほめられ評価されるところ」と「けなされ評価されないところ」は
あるだろう。そのレベルの高低や多寡はあれど。

個別事例だとセンシティブになりやすいので簡略化した事例で。

たとえば「おいしいラーメンを食べたくなった」として。
調べた結果2つの店があったとしよう。
1件は「日本一おいしいラーメンを作ると評判のラーメン職人A」の店。
もう1件は「くそまずい黄色い生ゴムのようなラーメンで完食すると伝説に名を遺すと噂のラーメン職人B」の店。そして極めて普通のラーメン職人Cの店。

私はまあ普通にAに行きたいと思う。Aがめちゃくちゃ混んでいて2時間待ちとか言われるとCで手早く済ませるという選択肢もあるかもしれない。Bの店もおもしろみはあるが。行くとしたら何らかの罰ゲームや怖いもの見たさなど「おいしいラーメンを食べたい」という以外の意図がある場合になるだろう。

ところが彼らの私生活などの追加情報で
「Aは家族に暴力をふるい、ギャンブル狂いで不倫しまくり、薬物使用歴もある」
「Bは子煩悩でボランティア活動や孤児への寄付に熱心」
「Cは可もなく不可もなし」
という情報が出たとする。

もし自分の目的が「ボランティアのNPOを立ち上げるにあたって信頼できる人物と接触を取りたい」となれば、まあBを選ぶことだろう。Cは常に無難な2番手となろうか。

安部氏は政治家。香川氏は役者が本分だ。安部氏の場合はその本分である政治の分野で功罪があるわけだが、香川氏は本分の役者としては高評価で安定しているように思う。

どこまで、どの範囲で評価するのか?また政治家や役者の何を重視していくのか?
このあたりで様々な意見が生じるのは仕方のないことだろう。
好き相手、信じたい相手についてはなるべく好意的な情報を探し、否定的情報については「それは今回の話題には無関係だ」と切り捨てようとする。
逆に嫌いな相手、信じたくない相手については悪意的な情報を探し、肯定的情報については「それは今回の話題には無関係だ」と切り捨てようとする。

私もあなたもなるべく理性的、客観的であろうとしてはいるが、それでも信じたいエビデンスを信じ、信じたくないエビデンスに懐疑的な目を向けてしまうというバイアスからは、人間であるがゆえに逃れえぬものだ。かといって単純にあきらめるのではなく、「自分に偏りが生じる可能性」を自覚してるかどうかの差はまあまあ大きい。

で、この玉川徹氏だが。コメンテーターがコメントの質が悪いということで「ラーメン屋のラーメンの腕が悪い」に該当する。

CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。