致命傷を避け限界の向こう側に至れ

限界の向こう側、敗北=リアルな損害という状況はあまり味わいたくない。負けてしまうと、その後のドラマを見ることができないのがいかにも悔しい。

だが、架空のゲームや遊戯(将棋など)ではリアルよりも一歩余分に踏み込むことができる。敗れたとしても、自分はその後のドラマを見ることができるという安心感がああるからだろうか。

限界、極限ギリギリの状況以降に発生する出来事は奇跡的でドラマチックだと感じる。そこにあるのが勝利だとしても、敗北だとしても。

最近のデジタルルールに多い「約束された奇跡」による演出もキレイに決まると相応の感動はある。だが、もう一つ「約束されていない未来」にスリルを感じ、その先を見たいという好奇心を持つところもある。臆病なくせに好奇心はあるという自分の習性には困っている。

到底勝ち目の無い戦いに挑む者の姿に惹かれることがある。

そこには普段見ることができないレアな現象や感情が現れる。圧倒的不利な状況を現実逃避するのではなく、それを見据えたうえでなおかつ心折れることなく、最善の努力を尽くす。奇跡が起きるのはそんな時ではないかと思う。 ・・・むろん、大半の場合、奇跡は起こらず、残酷な現実に見舞われるわけだが。めったに起きないからこそ奇跡は尊い。約束された奇跡には少なからずご都合主義な面が含まれる。

理論上では勝ち目のない戦いに奇跡を巻き起こすものは何か?好んで良く語る「物量」「機動力」「射程」「火力」「兵站」・・・。これらは大半の戦いで重要ではあるが、奇跡の介在する余地がない部分でこそ重要なものだ。

以前も書いたが、1つ目は不利な状況に負けない「折れない心」。2つ目は前面に押し出すに足る「独自性、個性」なのかなと思う。それらを拝みたいという好奇心が、一瞬長く戦場にとどまることをさせて、ついには退却のタイミングを逸するというのもよくある話だ

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ハナー
CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。

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