格上との戦い方2009年2月版
今年は年末年始に純粋棋力の向上を図り、実際に手応えを得た。序盤戦の選択肢としてカマイタチ戦法を学ぶ(棋譜を覚えるのは苦手なので概念だけ)。特に苦手な終盤については江戸時代の詰将棋、「無双」を会得(やっとこさ初伝だけ)。
父母に正面からぶつかると力負けするのは相変わらずだが、以前より1手粘れるようになった。1手粘れれば、それだけ策や小細工を弄する余地ができる。…書き出してみると、なんかあんまりパワーアップになってないような気がしてきた。
年末年始は六段相当の兄には惨敗を喫したものの、五段の父に1勝1敗、四段の母に2勝2敗と形だけなら互角の戦果をあげている。さらに母に負けたうちの1局は油断と甘さから逆転負けを喫したが、内容的には勝利した2局以上に優位を築くことができていた。初段の私としては、まずは上々の滑り出しといえるだろう。
『そろそろ頃合いか?』
以前、部長クンには「完全迎撃」で心ごとヘシ折られるような完敗を喫した。手も足も出ず、勝負所がまるで見いだせなかったわけだが、条件を整理すると前よりは勝ち目が見出せそうな気がする。
現状を分析すると、ときたま勝てるのが母、間違ってギリギリ勝てるのが父、間違っても勝てないのが兄。私が見る限り部長クンは兄と父の中間くらいに位置する。相手としては十分すぎるくらいに挑む価値がある。こと、将棋に関してなら「俺より強いヤツに会いに行く」を実践していきたい。
家族対戦に比べると情報の少なさは相変わらずだが、彼の場合は情報の質としては絞りやすい。ほぼ100%居飛車穴熊でくるだろうこと。その性質上、持久戦仕様に特化していること。大学時代にその戦形で風車のようなマイナー戦法も含めて豊富な実戦経験があること。それらの実戦経験に裏打ちされた、相手の有効手を先読みしてトリガーにする緻密なカウンター使い、それが彼の正体だ。
彼の「完全迎撃」はその豊富な実戦経験に裏打ちされた「盤上の手を具体的に予見すること」が生命線である。既存戦法で私が100回全力で指したとして、100回全部負ける「自信」がある。
一方、私が父母相手に行う指し手の予測はその棋風や性格を熟知していることで実現している。部長クンと違って指し手の内容を厳密に予測できているわけではない(その精度で手が予測できるなら私は初段ではあるまい)。ただ、感覚的に相手が選ぶ戦略方針がわかるというものだ。
部長クンがその予測をもっぱらカウンターのトリガーに使うのに対して、私は予測を攻守判断の基準や相手がミスをしやすい形に誘導するために用いている(この年末の父の打ち歩詰めもそうだし、母は私に対しては二歩で負けることが異様に多い。二歩になる手を攻撃的な良い手になるように私が自陣を構えているのが原因だろうw)。
前回の敗因の1番は「圧倒的な実力差」なのは衆目の一致するところである。だが、自分としてはマイナーな風車戦法に組み替えて、こちらの土俵に引き込んだつもりが、実は彼のほうこそ私以上に対風車の実戦経験が豊富であり、実質彼のテリトリーに全力で飛び込んでいたというのも大きな敗因だと思う。
F(フェイント)重視の私はC(カウンター)重視の相手には相性が良いはずだが、それは相手がフェイントに幻惑されてくれる場合の話である。手の内をほぼ全て見切られた状態となっては、一方的な展開になるのも仕方なかっただろう。
我が家最強の兄は部長クンに勝利しているがその兄ですら彼の「完全迎撃」に踏み込んでの勝負は無理と判断して別の手段で勝利している。そんな相手に私が勝利するのは”奇跡”に近いことだろう。・・・いや、私の場合は”事故”というほうがしっくりとくる。”奇跡”ではなく”事故”を発生させるための思案に入ることにする。
私『さて、どうすれば一番”事故”の可能性が高くなるか、考えてみよう。』
まともにやるとどうにもならない事をなんとかならないかと考えるのが楽しい。クリアできればもっと楽しい。
事故の確率を上げるには、相手が計算や予見できないこと、予想外の事象が多ければ多いほど良い。不確定要素を上昇させる。相手にしがみついて一緒に毒の沼に落ちるくらいの覚悟が必要だろう。こちらはそれを予見して毒消しをあらかじめ飲んでおけばいい。
事前の情報から、格下の私の勝利できるシナリオは自ずと限定されてくる。兄のように既存戦法で打ち合って勝つなんて芸当は私には到底不可能だ。彼の経験豊富な戦形はくれぐれも避けねばなるまい。部長クンの知らない戦法である鎖鎌を試してみるのが、一番間違い(勝利)に至る可能性が高いだろう。可能性が高いというよりは「まだ、マシ」という程度のことだが。
一昨年、母に一方的に待って様子を見る「アイコ戦法」の前に連敗している中から考えたこの戦法は幸い、「低く構える持久戦志向の相手」向けの速攻奇襲戦法である。母は振飛車、部長クンは居飛車という違いはあるが、そこは鎖鎌「逆手持ち」を使えば対応できる・・・はず。序盤は目新しい見たことのない戦法で幻惑し、まずこちらのペースに引きずり込む。中盤の構想力は「気合いで」互角以上に戦えるということにしておいて、終盤は差を詰められるだろうが、わずかに向上した終盤力で何とか逃げ切る。
・・・私が勝てるシナリオはこれくらいだろう。なんだか「気合いで」とか「何とか」という計画に存在してはならない言葉が並んでるような気もするがw。
再戦を決意した私は11階にいる彼の席に昼休みに遊びに行った。(私はこの1月に品川社屋の8階に異動した。同じ本社ビル内の顔見知りに会いやすくなってとても便利だ)
ハナー「というわけで、再戦をしよう!」
部長クン「何が、『というわけ』なんですか?話がさっぱり見えませんが?」
ハナー「いやぁ、日記に書くときに前口上が長いのはいやだからさ。」
部長クン「ああ、そういえばひどいっすね。僕が負けた記事もちゃんと書いたそうで。(笑)」
ハナー「ちゃんと俺がコテンパンにのされた将棋も記事にしてるんよ」
部長クン「そういう問題じゃないような気がしますけど・・・。将棋ですか、最近は忙しくて、研究できてないんですけどね。」
・・・ここで「最近は毎日3時間は研究してます」とか言われた日にゃ、私は速攻で逃げ帰るところだ。
私「忙しいって、研究開発の部署でなぜ今の時期に忙しいわけ?」
部長クン「お知らせしてませんでしたか?2月から海外赴任なんですよ。」
ハナー「へ?そうだったっけ?」
部長クン「『事後承諾』ですよ。本当は1か月前に行ってもらわないといけないのに。」
ハナー「こちらから総務人事部長にかけあおうか?」
部長クン「いえいえ、ハナーさんと同じで自分で望んだ異動ですから、全然いいんですけどね。ただ引っ越し準備が大変なんです。」
ハナー「わかった。それなら引っ越し作業を手伝うから、それが対局料ということで、1手ご教授願いたい。」
・・・いなくなってしまうのか。それならば、なおのこと倒しておかずばなるまい。勝ち逃げは許さん!(無謀)
私の部屋にはしょぼいマグネット盤しかないので、将棋盤は彼が持参してきた。振りごまの結果は部長クンの先手と出た。
ハナー『あ、後手番の可能性を考えてなかったな。後手番だと鎖鎌って成立するのか?』
1手目、互いに角道を開ける。ここで私の心にイタズラ心がむくむくと湧いてきた。
ハナー『待てよ。単なる鎖鎌よりも、カマイタチで序盤を作るか。で、相手がカマイタチの対処法をしてきたら鎖鎌に切り替える。題して「鎖鎌鼬戦法」、なんだか、いけそうな気がする~。』
素早く銀を繰り出して敵を抑え込むカマイタチと飛車角桂馬で早々に好位置をおさえ、攻撃の橋頭保を築く鎖鎌戦法はコンセプトが似ている。風車を知っていた部長クンのことだ。カマイタチとも当然戦ったことがあるだろう。相手がカマイタチへ対処するつもりのところで悠々と組み替えて、まったく別の未知の戦型が出現すれば百戦錬磨の部長クンといえど動揺するのではないか?
ハナー『よし、クサリカマイタチ戦法をやってみよう。』
こちらは予定通りカマイタチの生命線である右銀を素早く繰り出す。なんとなんと。部長クンはアナグマの駒組みを遅らせて銀を中央に繰り出てきた。
ハナー『穴熊で腰掛け銀!?』
腰掛け銀とは5筋の自分の歩の上に銀が陣取り、中央ににらみを利かせ、攻撃的な戦法である。
ハナー『カマイタチ風に銀を繰り出したのが完全に裏目か。マズイ!』
おそらく部長クンのカマイタチ戦法に対する対策は「アナグマの完成を遅らせてでも抑え込みを許さない」というものなのだろう。こうなるとカマイタチは勿論、鎖鎌にもできない。守備重視の彼がここまで積極策に出るとは思わなかった。
卓球の戦型に「前陣速攻」というものがある。文字通りコートの前面に張り付き、バウンドしたボールを即座に打ち返す攻撃的なスタイルだ。
いま一つ、「前陣攻守型」というものがある。前面に陣取るまでは同じだが、抑え込み様子を見るスタイルである。
私のカマイタチは前陣攻守型のイメージで抑え込むつもりだったが、部長クンはそれ以上に素早い前陣速攻の腰掛け銀でそれを許さない。カマイタチから鎖鎌に切り替えるつもりだったが、その余地を与えてもらえない。前に出られたので空間を埋められてしまったのだ。
ハナー『む、ちとまずい戦(いくさ)。』
ここで囲い合いを選ぶのは純粋棋力の真っ向勝負になりすぎるので論外。相手のアナグマが完成する前に仕掛けるには中央に門番のように陣取った相手の銀をなんとかするしかない。だが何ともする自信がない。銀をぶつける大捌きもあるが、銀交換をするにはこちらの形が悪すぎる。
ハナー『これしかないか。』
穴熊の反対の端を雀刺しにしようと大幅に陣形を組み替える。一方の部長クンは飛車を攻められている端から中央に転換する。つまり、端を突破された時に飛車がそばにいると攻撃目標にされる。それを前もって避けたということだろう。だが・・・
ハナー『腰掛け銀の下の飛車?端からの重圧を避けたつもりだろうが、形が悪いし重すぎるだろ?普通は右四間にするはずだが、なぜ中飛車に?』
私の部屋にはしょぼいマグネット盤しかないので、将棋盤は彼が持参してきた。振りごまの結果は部長クンの先手と出た。
ハナー『あ、後手番の可能性を考えてなかったな。後手番だと鎖鎌って成立するのか?』
1手目、互いに角道を開ける。ここで私の心にイタズラ心がむくむくと湧いてきた。
ハナー『待てよ。単なる鎖鎌よりも、カマイタチで序盤を作るか。で、相手がカマイタチの対処法をしてきたら鎖鎌に切り替える。題して「鎖鎌鼬戦法」、なんだか、いけそうな気がする~。』
素早く銀を繰り出して敵を抑え込むカマイタチと飛車角桂馬で早々に好位置をおさえ、攻撃の橋頭保を築く鎖鎌戦法はコンセプトが似ている。風車を知っていた部長クンのことだ。カマイタチとも当然戦ったことがあるだろう。相手がカマイタチへ対処するつもりのところで悠々と組み替えて、まったく別の未知の戦型が出現すれば百戦錬磨の部長クンといえど動揺するのではないか?
ハナー『よし、クサリカマイタチ戦法をやってみよう。』こちらは予定通りカマイタチの生命線である右銀を素早く繰り出す。なんとなんと。部長クンはアナグマの駒組みを遅らせて銀を中央に繰り出てきた。
ハナー『穴熊で腰掛け銀!?』
腰掛け銀とは5筋の自分の歩の上に銀が陣取り、中央ににらみを利かせ、攻撃的な戦法である。
ハナー『カマイタチ風に銀を繰り出したのが完全に裏目か。マズイ!』
おそらく部長クンのカマイタチ戦法に対する対策は「アナグマの完成を遅らせてでも抑え込みを許さない」というものなのだろう。こうなるとカマイタチは勿論、鎖鎌にもできない。守備重視の彼がここまで積極策に出るとは思わなかった。
こちらの端攻めVS相手の中央突破という展開になる。
ハナー『意図が読めん。わからんことは考えるだけ無駄だな。ここは攻めるのみ!』
時間をかけてもこちらの囲いには今以上の発展性はない。一方、部長クンは穴熊を完全に固めていく余地がある。こちらの攻めを開始すると部長クンは腰掛け銀をこちらの銀にぶっつけてきた。銀交換はしたくないところだが、下手に避けるとかえって陣形が崩される。拒否できない銀交換から互いに敵陣突破を開始する。相手の飛車が攻めに参加していないため中央の受けはこちらが1枚多い。焦点に直接に銀の弾丸を打ちこまれても支えきれると見ていた。
ハナー『さて、どう来る?』
部長クンは角を中央に繰り出してきた。こちらの右翼を狙っている。金をよって受けるのがぴったりだ。そこで銀を下段から打ってきた。金取り。なるほど、こう言う狙いか。直接打撃で駒を対応に動かさせておいて、関節技に入る。兄のような手口だ。
ハナー『銀の弾丸じゃなくて銀の地雷か。手筋といえば手筋だが』
金はどうにでも逃げることができるが、中央突破か右翼突破を許すことになる。こういう時は手抜きで受けず攻め合うのが良いと判断。いったん角を追い払ってから攻める手を進める。金を取られたがその間に端を突破、と金ができる。この時点でこちらの方針は入玉に決まった。「王の早逃げ八手の得」突破した端に向かって王が移動を開始する。ゲルマン民族大移動開始。
ハナー『中央は差し上げよう。代わりにこちらは王が絶対に詰まない形にさせてもらう!』
王の早逃げ八手の得という。部長クンはいつでもできる中央突破を後回しにして、こちらの前進部隊であると金と玉の間にくさびを打ち込んでくる。入玉に動くのがさすがに早すぎたかもしれない。敵陣に竜が成れてからやっとさきほどの中飛車の意味がわかった。
ハナー『あの時点で既に飛車を受けにだけ使う判断をしてたのか!』
こちらに端を破られた時に6筋においていると近接攻撃を受ける。それより一路遠い五筋において横利きでこちらの攻めをけん制されている。ヒグマの爪か。むしろこちらの成れた竜が動きを制約されて狙われる始末である。相手の受けの飛車が網を張っているため、攻め合いの速度で明らかに相手が有利になっている。
ハナー『飛車の位置が一路違うだけでここまで変わるってのか。』
先ほどの相手の飛車寄りがこちらにひと筋近ければ相手の飛車をいじめながら寄せることができたんだが。私の玉は敵陣を目指して旅に出た瞬間にあっという間に包囲され袋叩きにあう。防戦一方、・・・あ、力尽きた。
ハナー『全然ダメじゃん!』
以前の負けた将棋と大差ない負けっぷりである。策も何もあったもんじゃない。丸ごと粉砕された。Sランクの迎撃ばかり注目していたが、よくよく考えれば彼は5段の実力者だ。攻撃だってAランクである。敵陣こそ突破したものの、かなりの大差の負けである。そして相変わらず彼のアナグマは無傷。攻めかかるどころか、またも傷一つ付けられないとは。彼にカウンターを使わせるところまですら届いていないという意味では前回よりひどい負け方である。
ハナー『うーむ、単なる穴熊なら別に攻め方はわかるんだが。穴熊を狙って駒組みをしようとしてもヒグマの爪で周囲の橋頭保を崩されるし。仮に手が届いたところであの連鎖トラップが待ち構えていると思うと気が遠くなるなあ。あれだけ攻めづらい場所に戦力を集約されているとなぁ。』
普段なら一局指すと異様に疲れるのだが、本命の策を使う前に速攻で負けたため、体力もネタも時間も丸丸残っている(笑)。負けや失敗にこそ鈍感力を発揮すべきだ。まったくめげずにもう一局申し込む。部長クンは快く応じてくれた。よし、これがラストチャンスだ。今一度勝負!
ハナー『さっきは対局に入ってから下手にひねって失敗したからな。もう迷わん!』
まさか、速攻前進でたたきつぶされるとは思わなかった。こちらが応手を知らなかっただけかもしれないが、カマイタチの特徴である前進させた銀をむしろ攻撃目標にされてしまった。馬力の差で正面からそのまま押し返された。
ハナー『今度は最高速で鎖鎌戦法に組む。幸か不幸か先ほどは鎖鎌を出す前に負けたから、まだ大丈夫だろう。』
何度も書いているように部長クンとの膨大な実戦経験の差を埋めるには彼が知らない戦型に持ち込むのが一番である。かといってデタラメを指しても負けが早まるだけだ。だから、将棋とは別の理屈や理論にかなった戦法が必要になる。兄のようにまっとうに「将棋」という科目で鍛錬を積んで実力をつけるのは豪華食材でフルコースの料理を作るのに似ている。私は天の邪鬼かつ怠惰なので、今既に知っている知識や理論を転用することで勝とうとする。これは冷蔵庫の残り物でそれなりにうまい料理を作る発想になるのかな?(私の実際の料理の腕前については09年1月31日参照)
★「自分が自分であることを貫くと武器になる」のが今の私の将棋における理想である。現時点の体現が鎖鎌戦法になる。
自分なりに考案した鎖鎌戦法を用いる理由や、鎖鎌戦法自体の狙いは今までも書いたことがあるが、今回は少し深く書いてみる。
コンセプトは「相手が確実に指す手のマイナス点を考えること」だった。確実に指される手を聞くと、心得がある人間はかなりの確率で「角道を開ける手」と答えるだろう。プロ棋士でも先手番の初手の80%は7六歩であり、2番手の2六歩の18%を大きく引き離している。3番手は端歩だったかな?
この手はプロ棋士を含め多くの人間が良い手だと考えている、いわば将棋においては棋理というか「常識」と言ってよい。別にそれを疑うつもりはないし、私自身も良く用いる手だ。ただ、他人や書籍そのままに、それを真似するだけでは並ぶことは出来ても、上回ることはできない。
マーケティングでは多数派の考えの半歩先を考えるのが基本だ。だから、その最善手のマイナスを考えるところから始めた。組み合わせた考えは将棋の序盤の要諦「自分だけ飛車先の歩を交換し、相手にはそれをさせない」というものだ。つまり、相手からわざわざ手をかけてこちらに近づいてくれているこの歩を狙うのが私にとっては自然な発想になる。
ここでの私の結論は「袖飛車」ということになる。相手がこの狙いを恐れて角道を開けなければ、それだけ相手の角の活用が遅れて制約になるので、それでよし。あるいはこの歩交換を避けるとしても、相手はそれなりの手数を必要とする。実質、歩交換を避けるには相手は三間飛車にするしかなくなる(4四角と受ける?そこには既にトラップを仕込んでいるw)。実際に、この飛車先交換は父母や兄相手でも7割は実現している。(狙いを知られていないのが大きな理由だろう。将棋の常識が染みついている人間にすれば、戦法が3間飛車に制約されるのはおもしろくないのだろう。狙いを知られてしまえば防ぐのは簡単だ。つまり、この記事を読んだ人相手にはこの仕掛けは変更する必要がある。だから今まであまり詳しく書いてなかったんですがw)
鎖鎌戦法のプレリュードは「袖飛車」→「ひねり飛車」→「石田流(鬼殺し戦法風味)」という飛車の3段活用にある。「高速版鎖鎌」は足の速い飛車、角、桂馬のみで橋頭保を築く。相手の警戒する箇所に応じて左右を狙い分けることができる。常に複数の狙いを持つ攻めに対処するのは難しいというのがコンセプトである。私らしく「浅いが広い」戦い方だ。
鎖鎌戦法は露骨な狙いが1つ(鎌)と隠された狙いが1つある(分銅)。相手の陣形を見ながらどちらを用いるか決めるわけだが、たいてい相手は「露骨な狙い」に対応してくる。そこで分銅を投げつけるわけだが、実は分銅にはもう一つ(鎖)による狙いがある。その意味でも「鎖鎌」というネーミングは気に入っている。
武器としての鎖鎌は主に刀を持てない農民などの弱者の武器だという。戦闘訓練を積んでいる騎士団(父母や兄)相手に戦闘訓練の無い、貧弱な農民である私が立ち向かっていくのに相応しい名前だ。基礎体力を身につけるのは多少は意味があるが、今更、弓や刀を学んでも相手の手口を知る以上の意味は薄い。それよりは扱うのに慣れた農機具である鋤や鍬を戦闘に転用することを考える。相手の騎士団もさすがに鋤や鍬と戦った経験は少ないだろうから、これで経験の差を多少は埋めることができる。
・・・とはいえ私がそんな将棋ばかりしているから、いい加減兄も父母も慣れてきてる気もするが。。。
鎖鎌:一般的な操法として右手に鎖、左手に鎌を持ち、相手を狙って分銅を投げつけたり、相手の武器を鎖で叩き落としたり、相手の四肢に鎖を絡めさせたりしながら、動きを封じた上で左手に持った鎌で切りつける。使い手の技量によって千差万別に使い分けることができるすぐれた武器ではあるが、反面操り方が難しく、初心者では鎖分銅を自分の体に打ちつけてしまう可能性も高いので、かなりの鍛錬が必要とされる武器でもある。本武器には防御性はほとんど無いので、最初の一撃をかわされ、踏み込まれた場合対処が難しいと考えられる。
(ウィキペディアより)
あまりにそのまんまだったので、いつもはしない引用をしてみました。1番ツボなのは「本武器には防御性はほとんど無いので、最初の一撃をかわされ、踏み込まれた場合対処が難しいと考えられる」という箇所。ははは、この戦法、そのまんまだよ。
鎖鎌戦法はしょせん、アマチュア初段の私が考えた戦法だ。冷静に対処されると実は成立しない無理筋だし、守備も相変わらず薄め。だが、そこはそれ。心理的駆け引きや他の戦法(風車やカマイタチ)との選択を強いることで勝負に持ち込める。実際に家族相手であれば性格や考え方は熟知していることもあって十分戦えている。事実として私は一切情報のない3段と指すよりも、手口を熟知している4段の母相手のほうが明らかに勝率が高い。
・・・そう考えると、読みやすいとはいえ情報の少ない部長クンとの戦いは熟知している兄との戦い以上に分が悪いかもしれない。お笑い芸人の罰ゲーム企画みたいなものだが、大丈夫か、俺?なんだか不安になってきた。
とはいえ、部長クンの側からしても私の手口を知らないという解釈もできる。前回の風車や一局目のカマイタチでの敗北がうまく伏線になるように指すことが重要だ。これだけ負けが込むと「負けという資源」を用いるくらいの図々しさもいい加減覚えるってもんだw。負けも有効利用する。
★戦い続けられるかどうかは才能ではなくて意志や覚悟の問題だ。
自分が二流だろうが才能がなかろうが、継戦能力とは論理的に全く無関係だ。その証拠に「戦意」や「闘志」という言葉にはそれぞれに「意」「志」の漢字が使われているではないか。つまり、意志さえ残っていれば戦える。(私の尊敬する友人たちは才能はもちろんだが、誰も彼も戦う意志を持っている連中がそろっている。)
もとい、再挑戦する覚悟がある限り「負け」は中途経過に過ぎない。心が折れた時、あきらめた時に「負け」が最終結果として確定する。この考えがある限り最終的な意味で負けるのは意識を絶たれた時のみだ。(無論、一局一局の将棋での負けは負けで受け入れているのだが。ニュアンスは伝わってるだろうか?)何もできずに負けたからってあきらめて敗北を最終結果として受け入れる?NOだ。冗談じゃない。
ハナー『せめて準備した手品くらいはお客さんに見てもらおう。』
さきほどはその手品の準備でもたついているうちにバッサリとやられた。今度はお客さんの様子をうかがいながら手早く仕上げる。立ち上がりは私の袖飛車に部長クンの居飛車。部長クンは低く構え、守備を固めながら様子を見ている。完全に予想通りだ。
未知の相手に対峙した時に選ぶ対応は例のACFで予測がつく。A(アタック型)の人はまずは自分の得意な攻撃を繰り出す準備をする。C(カウンター型)の人は守備を固めて様子を見る。F(フェイント)型の人は軽い牽制で探りを入れる。
これは十分理にかなっている。つまり「未知の相手=相手の情報がない」のなら、相手のことなど深くは考えず、まずは自分は得意技をぶつけてみるわけだ。特にC型の人は最も慎重で未知の相手への警戒心が強い。鎖鎌を普通にやってみせれば、彼が引いて待ち構えるのは高確率で予想できたのだ。
そう考えると第一局で私がカマイタチを用いたのはいかにも浅はかな考えだったといえる。不要な策を弄した結果、彼の前陣速攻を呼び起こしてしまったのだから。
とはいえ、失敗すら有効活用するのが「負けのプロ」である私の将棋だ。こちらも順当に駒組みを進めていく。悠々と鎖鎌の理想形にくみ上げることができた。先ほどのカマイタチでの敗戦を無駄なく有効利用。銀を攻めに参加させない高速版である。
おそらく見たことの少ない布陣に部長クン、今回はオーソドックスに居飛車穴熊に組み上げていく。おそらく変則的なひねり飛車という認識だろう。メインの狙いである「鎌」の部分はがっちりとカウンター含みで備えているのがわかる。2つ目の狙いである「分銅」にも備えているのはさすがだ。
ハナー『その対処は間違いではない。だが、正解でもない。』
正解の対処は私なりにわかっているが、さすがにここではナイショw。(もっともこれだけコンセプトを書いている時点で読者にはもはや鎖鎌は通用しない可能性が高い。自分で手品のタネをしゃべりながらやってるようなものだ。)この速度差なら逆手モチに組み替える必要もなさそうだ、組み換えをしない場合、攻撃目標は相手の飛車のコビンになる。
私は完全に予定通りにもかかわらず、悩むそぶりを見せながら適当に時間をかけて自分の手を進める。
ハナー『今の対応はありがたいんだから、迷わずに指して、不要な警戒心を持たせる必要もない。』
普通では勝てない強敵相手には、どんなにつまらない些細なことでも、思いつく限り、ありとあらゆる工夫をする必要がある。普通じゃないことを発生させるには、普通じゃないレベルまで手を尽くすのは当然のことだ。自分は何も変えずに普段と同じことをしながら、普段と違う奇跡や幸運を祈るのは非論理的なことだ。ここで書いた時間の使い方の効果など微々たるものだと十分承知している。事前に策を練り上げた時点で、いざ戦いが始まってしまったら、そういった奇跡の欠片をかき集めるくらいしかやれることはない。
色々考えてたら笑いがこみあげてきた。一方では不確定要素を増やすと言いながら、他方ではその不確定な未来を予測しようという矛盾。番狂わせを起こそうという意味でも、揺らぐ未来を予測しようという意味でも私が挑むのは狭い確率の壁か。
「失敗」や「負け」の活用方法について自称「負けのプロ」である自分なりの講釈を垂れてみたい。
真っ先に思いつくところでは「普通は思い出したくもない失敗にも真摯に向き合い、原因特定、分析、反省、修正を行う」というところだろう。
ここで「負けプロ」から一言『全然、足りぬ!』
あ、そーですか。
特に将棋のような1対1勝負の場合、負けること自体がいろいろな策を弄する下地になるということを述べていこうと思います。せっかくたくさん負けてるのだから、もっと存分に徹底的に負けを活用しなければもったいない。
例えば2種類の相手がいるとする。一方は本能や感覚、感情に任せて動く深い考えのない相手。もう一方は論理的でデータを重視し、「意見と事実の違い」に着眼する相手。前者は動物に近い。行動原理を一度読み解けば策でも罠でも比較的はめやすい。自然体の境地にまで達していればともかく、その実、単なる思考を面倒がる気分屋、物事の表面しか見ていないことが多い。思考することを面倒がってサボったり、人に預けすぎたりすると詐欺に引っ掛かるので要注意だ。普通、敵にすると厄介なのは後者だ。駆け引きをするに足る強敵になるわけだが、実は後者こそ「負け」を使って誘導しやすい相手だと言える。
「私が相手に負けた」という事実は裏を返せば「相手が私に勝ったという事実」である(当たり前だ!)。そして論理的で「意見よりも事実を重視する人間」はこの「勝ったという事実」に引きずられる。だれしも「成功体験」「勝利体験」から逃れるのは大変なのだ。有史以来、過去の成功体験から逃れられず失敗した人間や組織の数は膨大なものだ。(ちなみに「俺は詐欺師に引っ掛からない」と言っていながら引っ掛かる人の多くがこのパターンを理由に引っ掛かる。写真やスライドで会社の情報の一部を事実として示されると、創造力に優れる彼らは事実を確認していないことにまでその事実を延長して当てはめてしまう傾向にある。)
勝利した相手には少なからず安心感、油断、慢心が生じる可能性がある。「なんだ、コイツはこの程度か」と。何もないところで相手を油断させようとすると、何もないのにあるように見せたり、あるのに無いように見せたりと結構手間がかかる。だが、事実としてすでに私が負けている、相手が勝っている事実があれば、単にその事実を強調してやるのは大した手間ではない。何よりも「事実」なのだから、相手にとってもこれほど明確なことはない。
なので私に勝利した相手が再戦の時に私を侮って、ナメてかかってくれると非常にありがたい。むしろ、大歓迎だ。どんどん侮ってほしい。こちらはその油断を突いて勝利という実利を奪いに行くのみだ。
ここで「負けプロ」から一言。
『まだ、足りぬ!』
これでも足りませんか?んじゃ、次。
確かに相手の油断や慢心に期待するだけでは消極的に過ぎる。「負けプロ」はまだまだ負けを積極的に活用する。将棋に関して言えば25年間家族内の食物連鎖の最下層に居続けたわけだから、負けの活用について、そりゃ色々と考える。
私に勝利した相手は当然に自分の勝因、そして私の弱点を看破する。そこに例のマーケティングの「多数派の半歩先」の考え方を転用するとどうなるか?少なからず、確実に彼らの手はそちらに引きずられることになる。それは本来合理的なことだが、負けた私の側からすれば「相手が用いる確率が高い手段」として認識できる。
棋力ではるかに劣る私が自分より実力者である父母や兄の手をある程度感知できるカラクリはここにある。・・・まあ、世の中のたくさんの問題と似て「わかっていても自分の力ではどうしようもない」ということもたくさんあるのだが、少なくともまったく備えがない不意打ちに比べれば、柔道でいえば受身、災害でいえば避難袋の準備をするくらいの対策は立てられる。
論理的に考えて敗北のあとの再戦は成功や勝利の確率は上昇していると考える。実際に将棋ではそれをある程度証明できていると思っている。(私は初見の相手と再戦の相手とでは勝率が明らかに異なる)
対して、勝利した側は大きく改善することが難しい。一度負けた相手との再戦は負けた側がどれだけ考え、工夫を凝らし、負けを活用できるかで結果が大きく変わってくる。
まとめとして、①単なる精神論では不十分。②「負けに向き合い反省し、分析しろ」というのではまだまだ。③相手の油断や慢心に乗じるでもまだ足りない。④自分が負けたという事実を完全に有効活用するには自分に勝利した相手の行動パターン分析にまで昇華する必要がある。
だから自分が負ける瞬間まで全力で戦うことには意味があるし、自分にとどめをさす一撃から目を背けてはならない。次回も考えて、少しでも多くの情報を集めなければもったいないではないか。
私はプロフィールで「全力で戦った末の敗北の歴史が云々」と書いている。それらを単なる苦い敗北の歴史、心のキズで終わらせるのか?最終的な勝利への糧として有効活用するのかは自分で決めることだ。
マズい空気を察したのか部長クンの銀がこちらの好位置にいる角を追い始めた。カウンター型のタイプはどうしても相手の手を慎重に見る傾向にあり、速度に欠けることがある。私よりはるかに強い部長クンにしてもその要素はある。角は悠々と自陣に引く。逃げる場所をあらかじめ作るのが間に合った。間に合わない場合は角を切っての強襲を考えていたが。相手がアナグマに囲う場所を100%決め打ちできる時点でこの位置の角は安全である。
ハナー『どんなに優れているとしても、得意戦法を一つに決めすぎるのも善し悪しってことだ。こちらは完全に決め打ちできる。』
狙い通りに組み上げた陣形に自信を深める。如何に彼の受けが強いといっても「見えない手」に対処できるとは思えない。(TRPGのマスタリングでも情報の出し方が重要だ。GMが上手に誘導してあげなければどんなPLでも話を進められなくなるということに通じている。)
ハナー『たとえどんな賢者でも、出題されていない謎に答えることはできない。たとえどんな勇者でも、出現していない化け物を倒すことはできない。』
小学生の頃のドッジボールの時に強敵を作戦で打ち破ったとき(08年7月10日の記事)と同じことだ。TRPGでいえばプレイヤーがわかるように情報やヒントを出さなければ話にならないということでもある。相手が認識すらしていない部分を考えることで「思考における不意打ち」を考えていく。これこそ「深さ」に対抗する「広さ」の考え方だと思う。今までにない展開に部長クンの顔色が変わったように見える。だが、もう遅い。理想形に組んでからの攻撃、既に鎖が絡まる寸前の状態だ。相手の「ヒグマの爪」飛車を絡め取りにかかる。
ハナー『こうなってみると、さっきのカマイタチでの敗戦が伏線になってるな。』
私のような二流には敗北すらも有効利用する図々しさが必要だ。いっそ、自分が二流であることを誇りに思うくらいだ。今回の鎖鎌は攻撃速度を最重視して、銀を攻めに使わず、囲いもロクに行わない居玉のままの「速攻型鎖鎌」を選んでいる。先ほどのカマイタチに備える動きから、彼も私同様に「こちらの銀の動き」に合わせて自分の銀を動かすのでは?という仮説があった。そこで私の攻めの銀を1手動かしただけで様子を見ていたがそれが図に当たった。彼の対応が明らかに遅れている。
ハナー『敗北を活用すれば、自分より強い相手でもこちらの手でコントロールできる。純粋棋力以外でもこれだけ戦える。』
部長クンにすれば私の銀がまだ2段目にいる時点で攻撃を開始するとは予測していなかったのだろう。
ハナー『さて、この「戦場」はさすがにそちらは初体験ではないかな?』
やっとである。3局目にしてやっと彼が見たことのない戦場、私のみが知る戦場に引きずり込むことができた。(このあたりもTRPGのGMとも似ている。事前にすべての情報を持ち、状況を設定し、何よりも当日が初体験のPLよりも考える時間が膨大にある。ベテランPLが何人いても、ただ勝敗を考えるならGMの圧勝である。だが、その思考を練る時間は勝利のために用いるのではない。PLを楽しませるために用いるのがTRPGだ。)
ハナー『好事魔多し、順調な時こそ気をつけなければ。・・・例のカウンターに注意して、攻撃を散らしていくか。』
将棋というのは相手の嫌がることをやったほうが有利になるゲームである。いやいや、あくまでも勝つために「仕方なく」嫌がらせをやってるんですよ?細い攻めをつなぎ、手数を出すのは得意なほうだ。部長クンが対応に苦慮する姿を初めて見ることができた。完全に策が決まった形。一方的に部長クンの攻撃陣を駆逐するのに成功する。ここまでは母に王手すらかけさせず居玉のままで一方的に勝利した時に近い展開である。いや、あの時よりも鎖鎌の完成度は上昇している分、部長クンの状況は母よりも深刻だ。
ハナー『本来F(フェイント)型とC(カウンター)型の戦いってのはこうなるもんだよな。圧倒的な棋力差を埋め切って相性の問題にやっと持ち込めたかな?』
大きな駒得こそないものの部長クンの飛車を端においやり、働きがない状態にする。「鎖」の効果だ。こちらは竜ができて敵陣の7筋に陣取る。角も成れて馬になってから自陣4六に戻り守りを固める。相手の穴熊からは遠いがと金まで作れた。部長クンは完全に受けを見誤った。本来の実力の半分も出せていないだろう。
ハナー『よしよし、ここまではほぼ100点だな。次はこのと金をどっちで使うか考えなくては。』
終盤で差を詰められるのは分かっている。彼の対応が遅れている中盤のうちにリードをできる限り広げなければならない。
敗北を単なる失敗の記憶で終わらせるのか?それとも「勝利への伏線」にできるのかは運も含めて本人次第だと思う。結局のところ成功している人々は成功するまでやり続けているということだろう。才能で決まるのは成功が速いか遅いかだけだ。そして、今のところは私は「カマイタチ」での敗北をうまく活用できているようだ。
終盤に強く、逆転勝ちが多いなら主人公キャラみたいでカッコ良いのだろうが、あいにく私は真反対の「事前の策略キャラ」である。むしろ、悪役に多いタイプか?少なくとも、あまり主人公タイプじゃないのは確かだ。中盤の手が広い局面で自分らしさを探すのは好みだが、終盤にむけて、狭い局面でただ1つの正解を探すのはあまり好きじゃない。だから終盤や詰将棋には「飽きてしまう」のだろう。これは性格や好みの問題だ。
私は自称負けプロだが、いわゆる負けプレイとはかなり違う。負けプレイは負けることをわざと楽しむ心のゆとりというか、その結果周囲を楽しませようという一つの技術だろう。その点、負けプロは全く違って、わざと負けるなんてつもりはさらさらないし、そんな余裕もない難敵に身の程知らずにも全力で挑み、たいてい負ける。そして、負けプロはその負けから何かを見つけ出して、痛みの記憶がないかのごとく再び挑戦するモノノフ(?)であるべきだ。(名古屋のTRPGの「不幸係」に近いか?)私は少なくとも将棋においてはそれを実践しているつもりだが、全力で挑みかかるほうが痛みを引きずらないで済むところがある。「やられるときはバッサリと」のほうが良い。
・・・いつもの悪い癖だ。また盤面から離れてしまった。戻りましょう。局面は明らかに作戦勝ちである。棋力が互角ならほぼ負けないくらいの大差がついた。だが、私は自分の終盤の「弱さ」には絶大の自信がある。油断は大敵だ。
ハナー『自分がどうしたいかよりも、相手がどう考えてるかを考えて、かく乱するのが自分のスタイルだ。部長クンはどうするんだろうか?』
部長クンはアナグマ付近の駒を後退縮小して戦線を縮めている。防御の徹底抗戦の構えか。そして働きを抑え込まれた飛車先の端歩を突くなど、なんとか攻めゴマに働きをもたせるべく、解きほぐそうとしているように見える。部長クンが鎖から逃れる前に、優位を拡大しなければならない。
ハナー『自分が勝負できるのはへんてこな奇策とそれを実現する駆け引き、あとは大局観や中盤力が何とかいい勝負できるくらいか。』
まとまらない思考が次々と湧きでてくる。このノイズの中から「自分らしい判断」を選びとる作業は大変だが楽しい。有利になって追いつめているはずが、苦慮呻吟しているのは自分という妙な事態。よく、「少しでも隙を見せたらやられる緊張感」という表現があるが、自分より明らかに強い相手と戦う場合、別にこちらに隙がないと思っていても、単に運が悪いだけで問答無用に屠られる「悲壮感」がある。その理不尽な結果にどれだけ抗えるか?と楽しめる境地になれば、もはや精神的には無敵状態だと言えそうだ。
こちらの歩をかすめとろうと部長クンの角が怪しい動きを見せる。
ハナー『そうはいくか。』
歩を守るためには盤上この一手、両取りなどが発生しないことを確認して馬の位置をずらして受ける。瞬間、部長クンが端に殺到してきた。飛車を切っての強行突破。飛車を入手したものの部長クンの香に成り込まれる。働かない飛車よりは端の突破と拠点を良しとしたのだろう。彼の思い切りの良さを感じる。仕掛ける前に馬の位置をずらさせた意図が読み切れない。あとで響いてくるのだろうか?考えてわからないことは考えるだけ無駄なので、必要以上に考えないことにしている。どうせ、考えなければならない問題はワンサカあるのだ。
私のレベルで考えれば大したミスはしていない。だが、お互いの最善を出し合えば、悲しいかな、5段と初段という棋力の差を思い知ることになる。ヒグマの片腕は奪ったがこちらの陣に嫌味をつけられる。
楽観と現実逃避は違う。そこを見極めなければ現実に殴り倒される。
思ったよりゆっくりしてられなくなってきた。第一局は早すぎる入玉の方針が裏目に出た。今回は敵の攻めゴマが少ないこともあるので防御をがっちりと固め、籠城、徹底抗戦の方針にする。彼は状況を打開すべくやや無理っぽい攻めをしているため、手ゴマは少なくなっている。
ハナー『さて、その貧弱な戦力でどう仕掛けてくる?』
部長クンは飛車がいない分を歩や桂馬、香車といった小ゴマを巧みに使い攻めを補う。(我が家では昔、最強になる前の兄が得意としていたゲリラ戦術。大ゴマの攻め程の一発で決める破壊力はないが、なにせ数が多いのと、対処しても小ゴマしか入手できない。昔は私の陣形が兄の小ゴマの攻めだけで面白いように翻弄され、寸断されたものだ。)少ない戦力で良くもまあこれだけ攻めを続けるものだと感心させられた。至近距離のうち合いで、ことごとく上を行かれる。『こう指されたらイヤだなぁ』という手がかなりの確率で来る。予想が外れた時?予想よりもっとキツい手がくるw。的確に急所に利かされる。じりじりと押しこまれ、こちらの囲いに「受けの空隙」がなくなっていく。接近戦に入ってからは徐々に差を詰められていく。まあこの展開は承知の上だが。
ハナー『分かってはいた、分かってはいたんだが。ったく、なんて馬力だよ。』
ほぼ完全に作戦で抑え込み、片腕を封じているにも拘らず、この有様である。不利な状況でも前に出る圧力はうちの母親に似ているか?母の攻撃を「突進」や「突撃」とするなら、部長クンの場合は「制圧前進」という感じだ。母はほとんどの傷にかまわず、前に出てくる時は速度を重視して一挙に出てくるが、彼は細かい傷を一つ一つ消しながらじっくりと前に出てくる。通常ならどこかで戦機をつかんで反撃するところだが、今回はより慎重にならざるをえない。
相手は抜群の「反撃」の名手だ。前回はこちらが戦機とみて仕掛けた手が敗着となった。正確にはそれが敗着になるように部長クンが仕組んでいた。あの、心ごとヘシ折られた完全敗北を忘れてはいない。向こうも当然にこちらが「決め」に出る瞬間を待ち構えているはずだ。決めに出る瞬間、終盤の考え方になり、部長クンのキャリアと私の終盤力の貧弱さが絶妙に絡み合い、逆転を許す危険性がある。
ハナー『・・・考えてみると、全然有利な気がしないな。』
玉の堅さ以外のほぼ全ての要素でこちらが圧倒的に有利なはずだったが、これが膂力の差というものか。
ハナー『有利なうちにカタをつけたいところだが。アナグマ陣を攻めると例の迎撃が来るだろう。だが、あの迎撃を見切るなんて不可能だぞ。』
彼の一番得意な技がアナグマで受けつつのカウンターなのは論を待たない。気合と根性だけで彼の完全迎撃を見抜ければ苦労しない。世の中には「最後まであきらめるな」と書いてある本が多いが、それだけでは半分だと思う。同じことを何度も繰り返すのではだめだ。正確には「あきらめずに試行錯誤をし続けろ!」と書くべきだ。挑戦し続けるのは良いが、やり方は変えながら試すべきである。「思考」錯誤にならないようにしなければ。
そして、単なる現実逃避と楽観も違う。客観的に見て私の棋力では彼のアナグマ陣に攻めかかってカウンターを発動させずに勝つ可能性は極めて低い。それなら、「カウンターを発動させて押し切る!」と考えるべきなのだろうか?明らかな勝勢だったはずだが、私は部長クンの完全迎撃を侮らないし、自分の終盤力をある意味信用しているので慎重にならざるを得ない。盤面の各所、局初戦ではやや不利なところばかり、だが盤面全体を見ればまだ優勢を保っている。
ハナー『この程度の勝勢、今までおやじやおふくろにイヤというほどひっくり返されてきた。油断なんてとんでもない。まだまだこちらが不利という気持ちでいかなければ。』
逆転負けの多さを自慢しても仕方がないのだが、事実だから仕方がない。終盤の将棋力の勝負になれば私はてんで話にならない。多少強化したとはいえ、終盤の棋力は5級くらいではないか?(自己診断:序盤2段 中盤3段 終盤5「級」)
ハナー『負けた2局はアナグマに手が届きすらしなかったことを思えば今回はやっと挑戦権を得たというところではあるが。』
「事故」が発生して有利になった。少なくとも前の対局で猛威をふるった「暴力的な攻勢防御」であるヒグマの爪をふるわれることはない。
千載一遇の好機、ここは勝ちきりたい。そのために終盤力も多少は身につけたが・・・。
穴熊陣を攻めれば当然互いに持ち駒が増える。持ち駒が増えれば、持ち駒の使い方の差が出る。ここでも自分は部長クンに大きく劣る。今のこちらの陣形が安定しているのは、相手の攻めゴマが少なくて働きが悪いからである。ここで持ち駒を渡す展開は極力避けたい。だが、攻めればカウンター地獄が確実に待っている。かといって時間がたてば作戦勝ちで獲得したリードを詰められてしまう。堂々巡りだ。なんとか、今の盤面の状態を保ちながら、縮小均衡で優位を確定したいところだ。
ハナー『まるで、禅問答だな。勝つためには相手の王を詰めなければならない。だが、そこには彼が最も得意とする穴熊陣が手ぐすね引いて待ち構えている。』
思考が同じところをグルグル回る。窮すれば通ず。天啓がひらめいた。
孫子もクラウゼヴィッツもマキャベリも読んだ。三国志もガリア戦記も銀河英雄伝説も読んだ。このころはジョミニ(ナポレオンの配下、ネイ将軍の参謀だった人物でクラウゼヴィッツのライバル)の戦争概論を読んでいる。その中にあった一節が脳裏をよぎった。
「ナポレオンのもっとも優れた長所は実にここにあった。一、二の地点を奪取したり、接壌地方を占領したりすることで満足していた旧来の形式を一擲して彼ナポレオンは対象を博し得る最善の道が、敵野戦軍を圧倒殲滅することにあると確信していた。」
「軍の主力を戦争舞台の決勝点に、または可能な限り敵の後方連絡線に向け、自己自身と妥協することなく、戦略的移動により、継続的に投入すること」
ハナー『・・・そうか、攻め辛い箇所にあれだけ戦力を集中させて、迎撃が得意な相手なんだから、元からこちらの答えは1つしかないんだ。』
たった一つの冴えたやり方かどうかはわからないが、少なくともいかにも自分らしい方針が見えた。相手の強みや長所を一切出させない方法。
ハナー『アナグマ陣を攻めなければいい。完全に無視する。そうすれば少なくともあの守備の金銀4枚はいないのと同じ遊びゴマだ。彼の得意な戦場でカウンターを発動される心配もない。彼に大量の持ち駒を与える心配もない。自分が大差で有利なまま、互角の勝負ができる「中盤の将棋」で押し切る。これが一番確率が高そうだ。』
方針は決まった。こちらの全勢力で部長クンの攻めゴマを完全に駆逐する。確実に各個撃破で駒得をはかり差を広げる。本来、一番効果的なはずの玉を攻めないというのはとんでもなく乱暴な発想だ。だが、こういった本来の筋から違うところに踏み込むのが私の場合は一番有利っぽい。最も有力で重要な部分。それを敢えて無視する。単なる妄想で終わるか?逆転の発想か?部長クンのようなカウンター型には最も効果的かもしれない。
ハナー『何よりも、俺らしい。なんというかツンデレ戦法とでも名付けるかw?いや、放置プレイのほうが合ってるのか。』
後はアナグマの姿焼きだ。ゆっくりと兵糧攻めをすれば勝てる。この手のことをひらめいた瞬間の快感は途方もないものがある。これのために将棋をしてるのかもしれない。言ってるそばから絶好の竜の活用が見えた。相手の角と銀に両取りができる。好機到来か?
ハナー『いやいや、ここにきて迷うな。相手はカウンターの名手だ。こちらが見切れないだけで、誘いの隙かもしれん。』
そんな単純なミスをするわけがないという「信用」はこのように敵から見れば脅威になる。私こそ見えない手への警戒を怠るわけにはいかない。時々、この好奇心に負けて踏み込むこともあるが、大抵は割高な授業料を払うことになる。複合連鎖トラップがあると疑われる場所には、たとえ豪華なお宝が見えていても近づかないのが一番だ。まだ、自分が有利なはずだ。相手に何の備えがあるかを見切ったわけではないが、一見絶好の竜と馬の攻撃参加を見送り、むしろ受けに回す。とにかくできる限り相手の意図を外す。自分の終盤力の低さを正確に認識すればこそ油断せず、慎重に。兄はカウンターの名手に攻めさせて勝利をつかんだ。私の場合は「攻められて」勝利を狙う。
部長クンの駒はこちらより少ない。明らかに攻めの駒とアナグマ近辺の守りの駒に二極分化していく。
ハナー『守備に全部の戦力を回す。攻めゴマを全部取る!』
戦場が自玉の付近というのは気持ち悪いのだが、戦力は相手の攻撃陣に対して、こちらはほぼ全戦力を投入できる。互角の戦力では運用の差で勝てない。ならば決勝点に戦力を集中することで上回る。これはクラウゼヴィッツもジョミニも書いていることだ。
ある面からみれば目的でも、別の視点から見れば手段に過ぎないことは多い。状況が変化したら目的や勝利条件に固執するのではなく、柔軟に勝利条件そのものを書き換える。
こちらはほぼ全ての駒で相手の攻めゴマをつぶす。部長クンのアナグマは相変わらず金銀4枚の鉄壁。
ハナー『どんな堅城も攻めなければ、関係ない。だって近づかないんだからな。オッパッピー戦法のほうが良かったか?』
反対に私は自玉のそばに駒を打ちつけ続ける。防御というよりは相手の攻めゴマを攻めるように配置していく。駒損を避けるため、時には相手の攻めをかわすので、自玉は相変わらず安定はしないが、少しずつ部長クンの攻めゴマを駆逐していく。中盤に良く見られる空中戦のような将棋のほうが私は得意なのだろう。
王手こそ受けないものの苦しい防御が続く。とにかく駒得よりは相手の橋頭保を丁寧に崩して、枚数を稼ぐ。彼が端を突破して作った攻撃の橋頭保を守備ゴマまで繰り出して、物量に任せて押し潰しに行く。部長クンに大ゴマが2枚あればこんな無理は通らなかっただろうが、幸い、力量差と無理を通せるだけの駒得がまだある。部長クンの大ゴマは1枚だから、大捌き、複合の技はおのずと限定されるのが大きい。
互いに苦しい中、さすがに攻めゴマが少ないと思ったのだろう。部長クンはアナグマの銀を一枚増援に繰り出してきた。
ハナー『む、どうする?』
独自の「ACF+G」で考えると選択肢がいくつかある。
その1、徹底的にこの銀を集中打で潰す。盤面を対角線上に移動してくるのは容易に予測できる。他の駒と合流する前、盤面中央で孤立しているところを狙う。これはC,カウンター方針か。
その2、銀がいなくなった空隙に歩を利かせてアナグマ攻略に移る。相手がわざわざ守備を薄くしてくれたのだからそれをマイナスにする発想だ。本腰で攻めるつもりはないならF,フェイクの方針になる。
その3、銀も相手の守備も無視して初志貫徹、こちらの玉近辺の相手の橋頭保を潰す。近くの脅威を確実に潰す、一番安全な発想だ。G、ガードの方針。
その4、薄くなった守備を見て相手よりも速い竜や馬で敵陣に切り込む。積極策、Aのアタックの方針か。
ハナー『今更アタックはない。今の方針を保つならガード、自分らしいのはフェイク、予測を活かすならカウンターか。』
自分の優位を信じる以上、戦況が劇的に動くことは避けたいところだ。
ハナー『カウンターは読まれて上を行かれそうだ。ガードの方針を崩すために銀を繰り出してきたんだろうから、やはり自分らしく相手の意図を外せるのはフェイクか。』
くさびに歩を打つだけだから、仮に相手に読まれていても失うのは歩1枚だけ。だが、アナグマの上に一歩利かされるのは相手にとっては嫌だろう。
歩のくさびを打ち込む。相手にはいつでも取られる形だが、そのためには守備の金が斜めにのけぞる形になるので、指しづらいと予想したが、意に反して即座に取ってきた。
ハナー『む?アテがはずれたな。まあ相手の形を乱したからいいか。』
相手の角の支援を受けた銀が攻撃に参加したため、圧力が変わりジリジリ通し込まれる。こちらの玉の形が悪化していく。だが、徹底してこちらは枚数を重視して敵の物量を減らす。私レベルではミスではない受けなのだが、部長クンの粘り強い攻めに親衛隊長を務めていた馬が討ち死にをする。「馬の防御力は金銀3枚」とも称されるのだが、とたんにこちらの玉頭が危うくなる。一時期の圧倒的大差を乗り越えて、部長クンの駒がかなり迫ってきた。こういうクロスゲームになる前に勝ちきりたかったのだが。
ハナー『あれだけの大差がこのていたらくか。俺が弱いのか、部長クンが強いのか。』おそらく両方だろう。
だが、こちらの馬もただでは死んでいない。当初の方針通り、相手の銀を含め3枚を道連れにしている。相手の攻めはかなり細くなってきている。とにかく相手の駒数を減らし、自玉に近い拠点を潰す大方針に変更はない。ここまできたら揺らいではいられない。部長クンの玉は堅牢な穴熊城の中である。つまり彼は自分は王手を受ける心配を考えずにこちらの玉を詰ますことに専念できる。
こちらは相手の攻めを切らせれば勝ち。相手はこちらを詰めれば勝ちという形である。あと少し。
部長クンは持ち駒の不足を気にしながらも、盤上の駒も参加しての王手が始まった。
ハナー『ついに王手が来た。しのぎ切れるか?』
私の眼には明らかに物量不足に見えるが、部長クンの眼には詰みが見えているのだろうか?
ハナー『むう、さっぱりわからん。』
10数手の王手が続くのをかわし続ける。部長クンの角打ちの王手をかわして、端にいた成香を取った。よくわからない時は敵の駒を取ることにしている。これでギリギリだが助かってないか?・・・そして取った直後に自分の玉があと5手で詰むと気づいた。
ハナー『あっ、ツンデレ・・・じゃねーや。詰んでるじゃんか?』
部長クンの持ち駒は歩が1枚。それに対してこちらの持ち駒は台からあふれるほどにある。盤上の戦力でもこちらが明らかに圧倒している。それでも王が詰めば将棋は終わるゲームだ。
ハナー『まあ、前なら5手詰めにも気付けなかっただろうから、これも将棋無双をやった効果か。』
何度か読み直したが5手詰めに変わりはない。そして間違ってもそれを見落とすような相手ではない。
ハナー『いや、待て自分自身の終盤力は疑うべきだ。こうすると、ダメか。こっちは?いかん3手詰めになってしまう。早死にしてどーするよ。』
中盤まで好局だっただけにあきらめきれず色々と考えるが詰みから逃れる術はない。あきらめて手を指そうとするが違和感がある。未練なのか、この期に及んでなにか引っかかる。
ハナー『この局面、どこかで見たような。・・・おお、そうか。こっちだ!』
あることに気づき、わざと3手で詰む方向に逃げる。予想通り部長クンの角が馬になりつつ王手、こちらは決めていた場所に玉を逃げる。
部長クン「・・・!」
次に部長クンは歩を打てば私の玉は詰む、だが打てない。打ち歩詰めになる場所を選んで逃げた。年末に父に勝った将棋。父の打ち歩詰めの反則で勝利した局面に似ていたのに気づいたのだ。父との対局ではそこまで計算していなかったが、今回は無双のおかげで終盤の力が少しついていたのが役立った。部長クンが勢いで歩を打ってくれれば良かったんだが、別の手を指された。
ハナー『ちっ、さすがに気づかれたか。』
あと3手でこちらが詰むのに変わりはない。だが、手番はこちらにある。打ち歩詰めに気づけたおかげで貴重な命の時間を少し稼げた。
ハナー『こっちは上下両方からの詰めろだから、受けはない。ということは連続王手で詰めるしかない!できれば囲いを攻めずに勝ち切りたかったんだが、仕方ないか。』
先ほどとは反対の立場になった。部長クンの金銀三枚の穴熊を豊富な持ち駒と盤上戦力で詰めればこちらの勝ち。詰められなければこちらの負けだ。最初の手は何の迷いもなく2三桂打ちである。
ハナー『これ以外に王手がかからないから迷わない。さっき、金を斜めに上げた効果だな。だが、こっから続くのか?』
同銀の一手で王のコビンが開いた。続いてハナー5五角に部長クン2二金寄り、同角成りに同玉・・・。やっと穴熊から王を引きずり出した。ここまでは一直線でお互いに選択の余地がないから良かった。問題はここからだ。王手の候補だけで十種類近くある。相手の受けも種類が増える。それらを正確に読み切らなければならない。中盤の多くの手から好きなのをフィーリングで選ぶのは大好きなのだが、終盤のたった一つの正解を見出すのはどうも苦手だ。
ハナー『苦手なんだが。そうも言ってられんか。』
詰め切れないならせめてこちらの必至を解除する手を間に合わせるしかないわけだが、角を使わざるをえなかったので残る候補は飛車を使うくらいだ。(大ゴマというのはこういう時に局面を帰る底力がある)だが飛車は2枚とも私の戦力として盤上にいるので、運用が難しい。味方の駒が多すぎて自陣に利かせにくいという皮肉。以下、9手ほど追いかけたが届かず、王手がかからない位置に逃げられた。そして始まった逆襲をしのぐ手はさすがに残っていなかった。
ハナー『まいりました。』
敗北。無念。orz
部長クン「最後、おそらく詰みありましたよ。」
ハナー「え、そうなの?どうやって?」
部長クンが言うには13手詰めがあったとか。
ハナー「それでは私にはわからん!(エヘン)」
部長クン「なに、いばってるんですか?(苦笑)」
部長クン「しかし、変わった駒組みでしたね。初めてみました。」
ハナー「普通の将棋じゃ絶対に負ける自信があるから色々と工夫してみたんだが、どうだった?」
部長クン「どうもこうも。かなり、やられましたよ。明らかに作戦負けでした。こちらは一局目みたいに、もっと早く前に出るべきでしたね。見慣れない形なので慎重にいったのが失敗でした。」
ハナー「見慣れない戦法には玉を固めて様子を見るのがセオリーだからね。こちらはそれに期待して指したんだ。」
部長クン「そちらの攻撃陣に展開させすぎましたね。銀が参加していない攻撃だから受け切れると思ったんですが。」
ハナー「確かに。1つ1つの狙いは軽いから。」
その後やった感想戦ではさらに2回負かされたorz。彼とは当分指せないだろうということで、鎖鎌のコンセプトを話したら、私が気付いていなかった鎖鎌の弱点をいくつか指摘してもらった。何度か書いたとおり、鎖鎌は所詮アマチュア初段の私が考えた戦法なので、弱点が多くても当然だ。
とはいえ、アマチュアの本当のトップクラス、県代表など化け物のように強い相手はまだまだゴロゴロいます。たとえば、うちの両親が正棋会という集団(鬼将会みたいですね)ではまるで子供扱い。上には上が果てしなくいるということか。相手との人間関係や心理的距離を有効に用いることで、今回のように十分実力者にも通用するでしょう。私が棋理以外を重視しているがゆえに部長クンが見誤った面もある。人間と似ているとでも言うか?何事も視点によって長所にも短所にもなりえる。
今回の善戦は「将棋に将棋以外の要素を持ち込むことで格上と戦える」という自分の考えを多少証明できたように思う。勝てればもっと良かったのだが。。。今回シリーズ冒頭に書いたとおり、今年の戦績は父母と互角、難敵である部長クンにも大善戦できた。次の目標が必要だ。
『・・・名古屋のカマイタチ使いか兄貴退治か。』
特に兄には15年の屈辱と敗北の歴史がある。この年末にもコテンパンにノされたばかり。
各種知識を単に知識として知っているというだけではつまらないし、もったいない。それらの本質をつかんで、如何に将棋をはじめ、ほかの分野に転用できるかがカギとなる。理想はすべての知識の相互転用だ。料理の本を読んで将棋が強くなり、将棋の本を読んで園芸がうまくなり、
園芸の本を読んでマーケティングが得意になり、マーケティングの本を読んで監査に活用し、監査の本を読んでTRPGに活用する。もともとは強敵と戦うために必要に迫られて始めたことだが、いまや私の思考手段として欠かせぬものとなった。
部長クンに聞いた弱点を克服すれば、再び鎖鎌を使って兄に挑むことができるだろう。ジョミニの戦略線、決勝点などの幾何的な考え方ももっと取り入れる余地がありそうだ。
・・・おとなしく将棋の本、特に終盤に関するものを読むのが一番良いんだろうけれど、そこは私のポリシーだし、得手不得手というのもある。本当にダメなら、その時こそ仕方なくもう少しだけ将棋の本を読んで底上げを図ろう。
CIA(内部監査人)や行政書士資格から「ルールについて」、将棋の趣味から「格上との戦い方」に特化して思考を掘り下げている人間です。