ベン・グリーンは、「ハイモダニズム」のイデオロギーをすでに欠陥が明らかな過去のものととらえていて、その例として、エベネザー・ハワード、ル・コルビュジエ、ロバート・モーゼスなどを取りあげている。
技術決定論は、誤りであろうが、「都市計画」というものをなくすことはできないはずだ。(引用文中の「テック・ゴーグル」とは、あらゆる問題をテクノロジーの問題としてとらえるような物の見方。)
計画を排除して市場原理だけが働くようになる都市を考えることはできない。
「中心部の土地の共有」とか「開発の利益をコミュニティに」という考え方は今はどうなっただろうか
ハワードの説く田園都市では、「土地の共有と土地経営、さらに開発の利益の地域社会(コミュニティ)への還元、グリーベルト構想や住民参加による町の経営・管理」などが「都市の過密、過大化と農村の過疎化を同時に解決する方法」としてとらえられていたはずである(注)。
[注]
西山八重子著『イギリス田園都市の社会学』(ミネルヴァ書房、2002年発行)、3ページ。