私の尾道放浪記
約6年ぶりに尾道を訪問。
私にとって尾道は、中学高校の6年間を過ごした大切な場所です。
海が見える。
海が見えた。
6年振りに見る、尾道の海はなつかしい。
私いま、林芙美子と同じ気持ちじゃん!
と、何度もみたあの石碑をこんな共感しながら見ることはないな、と不思議な気持ちになる。
みどり色の海、浮かんでいる船、すぐ近くに見える向島、遠くに見える橋、シャッター多めの商店街、増えているおしゃれなカフェ、果てしなさを感じる階段、時折現れる猫、新しくなってる展望台と駅、なくなった尾道城、充満する金木犀の香り。
なんか見える全てのものたちに、もう無性に感動した。
こんな素敵なまちで暮らしてた自分、なんて贅沢なの!!と今になって強く思います。
大体私の尾道でのルーティンは決まっていて、適当に見つけた階段から千光寺を目指すこと。
これは住んでた頃からやっていて、何か気持ちが落ち込むことがあると音楽を聴きながらひたすら千光寺を目指していたな〜
なんて健全なストレス解消なの。
なんか今までにないくらい道に迷い(地図は見ない)、息切れをし、自分も歳を重ねていることを実感。
ある日働いていた老人ホームで口腔ケア後、
👵🏻「歳を取るということは、どういうことなんじゃろうな〜」
👩🏻「わかんないですけど、今と同じではいられない、ということなんですかね〜」
👵🏻「それは間違いないね〜」
と会話したことを思い出した。
そしてやっと山頂の展望台に到着。
この時には熱中症になりかけており、途中何度もすれ違った外国人親子に心配され(笑)
あんまりに暑過ぎて、みかんフローズンドリンクを飲んでクールダウンしていたら、徳島から来たというおばちゃん集団に「あんたいーもの飲んでるな!私もそれ飲みたいから教えて!」と絡まれ、会話を楽しみ、ひとり旅もいいな〜なんて思いつつ。
千光寺でテープから流され続けているお経の中参拝を済まし、お守り売り場にめちゃくちゃ喋る商売上手のおばあちゃんがいないことに寂しさを感じつつ。
そして駅を目指してひたすらにくだる。
そんな中横目に、グリコをしながら登っている女子2人組を発見!
それを見てめちゃくちゃエモくなりまして。
というのも、私も毎年お花見に行っては友だちとこの果てしない階段の特性を活かしてグリコを楽しんでいたから。恥ずかしいがエモい!!
ちなみにその人たちはチョキで勝っても、「チヨコレイト」ではなく、「チヨコ」だった。良心的。
ぼーっとした後、私は嫌なことがあって千光寺まで来た後、いつもどんな気持ちだったんだろう、と少し考えてみる。
考えてみて気づく。
こんな風にぼーっとしてたな、と。
山の上から海を眺め、ぼーっとすることが、何かを許し、仕方ないな、と思わせてくれた。
そして、いつもの暮らしの場へと足を運ぶ。
はあ、と大きくため息をついて、ま、しゃーないよね、と思える余白が必要なんだろうな。
それが自分を少し、回復させてくれる。
夜、尾道で暮らす友だちとちょっと奮発したコース料理を食べながら、尾道の良さに熱弁していたら
「よかった、ゆかりちゃんにとって尾道がつらい思い出の場所になっていなくて」と言われてハッとした。
全然、そんなつらい思い出の場じゃないよ。
ぜんぜんそんなことない、ないよ。
でもそっか、そうであったかも、しれないんだよなあ、とも思う。
靴の中に死ねと書かれた手紙が入っていたし、家の中は大体誰かが喧嘩してたし、明日が来てしまうことが嫌でずっと寝なかったり、なんでかは知らんけど死にたい気持ちに苛まれていたし。
今回私が尾道に行く前に母が「尾道にいた時は大変だったイメージしかない」と呟いていたけれど。
たしかに、大変な、苦しいことがたくさんあったけど、それでも私は尾道が特別で、大切で、好きだなあ、と思う。
なんでかな、と考えてみたけど、ここまでいろいろ書いてきて、ちょっとわかった気がする。
尾道で過ごした日々から時間が経ち、私もその続きの日々を過ごす中で、ぼーっと尾道の日々を思えることができるようになったんだろうな。
それがあの日々を許し、仕方ないな、頑張ってたんだな、と思わせてくれたんだろうな。
久しぶりの地で、久しぶりの友だちと会う。
「この呪いは自分で解くしかないんだなって思うよ」と真面目に話す横顔が、「私は外で働くことは好きなんだなって気づいたよ」と柔らかく笑った顔が、「私は周りに恵まれてきたから、子どももそうやって自分の人生歩んでいってほしい」と遠くを見つめる逞しい表情が、
それぞれが歩んできた続きの日々の重さを感じさせ、そしてやはりあの子はあの子だなあ、と感じさせ、なんだかもう胸がいっぱいで。
どうしようもなくなり、こうして文章にしています。