ただの妄想です。
無意識に医師や心理士さんの言葉(自分にとってのNGワード)や顔色さえ窺って、
勝手に迎合してしまうような、
【良い子型・発達未診断歴ウン十年(虐待歴は無し)】の患者だった私は、
2度目の知能検査受けた時の【しんどさ(体感)】と【数値】を照らし合わせてやっと、
自分の中の【イヤ】や【限界】がわかるようになった。(それまでは時折“身体的解離”?で突然転倒するなどの症状もあった。)
それだけでは足りず、その後、ADHD治療薬を服薬する事でやっと、
“自力では乗り越えられない眠気と独りで戦おうとしていた”事に気付いた。
「そのしんどさは甘えだ!」と言うもう一人の自分を納得させるために、ADHD治療薬の服薬による“体感”が必要だと思ったが、
心理士に理由を訊かれて言葉が出ず、
嗚咽と涙しか出なかった。
が、強行突破で服薬に踏み切った。
そこで得た“体感”で、“しんどかったんだ”がわかったのだ。
そして、Xなどでバイアスのかかっていない感じの当事者の人達の言葉に安らぎを覚える事で、ASD的背伸びを緩める事ができた。(いまだにはっきり区別はできないが、心地よいものは大事にしたい。)
そんな感じでマニュアル車みたいにガチャコンガチャコンってしながら(ちなみにマニュアル車は運転できない🤣)、
数々の【体感/快・不快/身体性】をひとつひとつ、
【頭と体感で】取り戻してきた気がする。
【一人一人さまざまな背景やニュアンスや意味を込めた“他人の言葉”や“他人のやり方”】では、同じ檻の中で堂々巡りだった。
そんな感じで、
私は一個一個【手作業】でしか進んでこれなかったほどの不器用なんで、
今、逆に、人を見る時、
一個一個自分の想像の中で【各能力の体感】を【チューニング】する事で、
以前より他の人の【体感】を想像しやすくなったかもしれない。
私自身は脳性麻痺は持っていないし、
そういう人に会ったこともないのだけど、
もしも、私とその人で脳の同じ箇所に同じ特徴があれば、
もしも、私とその人が、
各々異なる脳の特徴の組合せにより、
同じ機能に同じ特徴が出ていたとしたら、
例えば他人のあんな指示はこんな風に感じるだろうか?
あんな世間がこんな風に見えるだろうか?と、
【“つらい”の体感】を自分の中に再現してみたりする。
そうすると、その人の言動の意味がわかるような気がしたりする。
「わかるわけない!」と言われても、
“残しておきたいな”と思う“考え”ってある。
私自身が、
“誰にも相手にされないような誰かのつぶやき”に、
救われた事が何度もあるから。
眼球を動かす速度とか焦点を合わせる速度とか短期記憶足りないのに“限られた時間内に全体を把握しようとすると”、全部朧げになる
— marlon (@marlon8bird) November 8, 2024
これとか、NHKの『死亡退院』を見て、
ちょっと書いておきたくなっただけ。
DAMP(Deficits in attention, motor control and perception)Syndrome:ダンプ症候群.ADHD+DCDで,重度の場合,ASD との関連が強い.スェーデンやデンマークでは日常的に診断されているが,世界的には用いない概念. pic.twitter.com/HjMcCbbqVJ
— sopueltno (@fake_outlandos) November 13, 2024