特児 メモ
私のADHD的“忘れないうちに”とASD的“きちんと”で、息子関連の手続きを全体が見えないまま手探りで手当たり次第に進めてたら、
特児の見立て(診断書)が1ヶ月の間に、療育からのものと児相からのもの、重複して2つ用意できてしまったことがあった。
療育の方はすでに役所に提出済みだったので、児相のものはどうすればいいかわからず、自治体に事情を伝えたところ、“両方出しておけば良い”ということになった。
結果、2級と認められた。
私は療育も児相も同じ見立てだろうと思い込んでいたから特に不満も疑問もなかった。
むしろ過剰適応特有の“SOSの出せなさ”“相手の問いの程度のわからなさ”“言ってしまえば病的な腰の低さ”で2級にもならないと思ってたから、
「受け取り過ぎなのでは…?」という後ろめたさすら感じていたのだけど、
それを報告のつもりで療育主治医に話したら、「2級?そりゃおかしい。私は1級のつもりで診断書を書いた。私はこの子を何回も診てる。一回しか診た事ない人や、一度も会った事のない人に何がわかるんですかね?自治体に言ってきてください。私が1級のつもりで出している事を伝えてください」と言われた。
自治体にその旨を説明し(主治医はこんな風に言ってるんですけどどうしたらいいんでしょかね?的な感じで)、細かなやりとりの末(不服申し立て的なあれ。関係機関から主治医への直接の確認もあり、「1級と2級の間」という主治医の言葉もあり。)、期間限定で1級認定をもらった。
今は以前より少し落ち着いているので2級。
それでもあの時主治医のはっきりとした「おかしい」って言葉がなかったら、1級取れる可能性もありながら「2級いただいて申し訳ない」の気持ちのままだった。
それ以前に、私が“最初に特児を申請したきっかけ”も、
自分ではなく、自治体の人の「こういうのは早い方がいいから先に申請してください」だった。
…からの、療育の主治医にその旨伝えたら→「まだ判断できない。小学校に上がってから」。
…からの、自治体の人の「私の知ってるあの子が取れてこの子が取れないはずがない」という声かけ。
…からの、小学校入学後の、放デイの人の「この子特児取れると思うよ」。
…からの、療育主治医にもっかい言ってみる→主治医「診断書書けるよ」。
周りの人の数々の囁きがなかったら、異議申し立ては愚か、申請にすら進めなかった。
こうして沢山の支援者と繋がれていても、意識の上にものぼらず言い尽くせていない困り事や疑問が時折大きなブランクも挟みつつぽろぽろ出てくる。
“切れ目のない支援”て、支援を受ける側も強く意識しないと、なんかほんと雪のようにポッと消えてしまうぐらいのものだなと思う。