“謝罪”の内心
私は仕事ではすんなり謝れる。
“意思表示として外の世界に見せるため”の表情や仕草の演技もたぶんナチュラルな方だと思う。
社会に出たての頃は、親しくない人に対する表情が少なかったけど、敢えて絶対無理と思ってる接客業に就く事で表面的な技術だけは身についた気がする。
でも、表面的に謝れていても、
内心はその時々でグラデーション。
①たまたまのミスだったり改善できそうなミスなら、内心かすり傷。
②“誰が見ても”明らかに理不尽な要求をしてくる人に対しては、内心おしりぺんぺんおならプーができて、無傷もしくはかすり傷。
①②は割り切れるけど、
一方で、
③特性由来でこれまでどれだけ努力しても変えられなかった事とか、
④自分が日頃から(そのミスとは直接関係のない)別の側面で強迫的に過剰適応(過剰なカモフラ)をしているが為に余裕がなくなって起こった事。
③④に関して謝る時には、
表面上は謝れていても、
内心では“謝る”通り越して“切腹”。
③④の内心は、
【二度としないとかこれ以上頻度を減らすのは自分にはもう無理だとなんとなくわかっている。でも外の世界ではそれは“あり得ない”事になっている。“努力すれば出来るはず”という事になっている。私は努力出来てるのか?出来てないのか?わからない。自分はこの人よりつらいの?つらくないの?わからない。自分で自分がわからない。わからないという事は私はまだ甘えてるということか?
わからないけど、相手があれだけくっきりきっぱり言葉を紡げるという事は、相手の方が私よりも“わかっている”という事なのかもしれない。
私は改善を誓わなければならない。】
と、そんなような感じの内心。
現在は、
自分の限界が『体感的に』自覚出来てきたから、
③④の状況で謝っても【】内の精神状態にはならない。
ちなみにXにおいては結構最近【】内がなくなった。というか、リアルでは言わない事を敢えて言う人もいれば、リアルで使ってるような建前も残す人もいれば、綺麗なものだけ並べたい人もいて、それぞれ好きなようにXを活用する中で、
何を「ミス」とするのか?
私にはまだわからないなと思うから、
“謝る?何に対して?どういうルールからどう逸れたから?どこへ向かって「正せば」いいのか?というより、何が「正しい」?”
と、なる。
これ、喧嘩を売りたいわけではなく、
純粋にただただ“わからない”だけというか。
なんかそんな感じ。(ざっくり)