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なぜいま人的資本経営なのか?企業に人的資本経営が必要な理由

従業員が持つ知識や能力を「資本」とみなして、持続的な企業価値の向上につなげる経営の在り方を目指す「人的資本経営」。2022年10月、この「人的資本経営」を研究・発信することを目的とした、「一般社団法人 人的資本経営推進協会」を設立し、代表理事を務めています。

いよいよ、2023年3月期決算から上場企業を対象に情報開示が義務化され、さらに注目を集める「人的資本経営」ですが、その本質的な背景を理解されている方はそれほど多くないかもしれません。世界的なESG投資の広まりや、人口減少による労働力不足、価値観の多様化などもその背景にありますが、私は「労働生産性」と「産業構造の変化」の観点で、この人的資本の流れを捉えています。

現在では、義務化の対象になっていないスタートアップなど未上場企業においても、今後、人的資本経営は不可避になると考えられ、経営者は「なぜ人的資本経営が必要なのか」をいま理解しておく必要があります。

まだ人的資本経営の必要性に疑問があったり、人的資本経営を体系的に理解をしたいという方は、ぜひこの先を読み進めて見てください。


2つの観点から考える「人的資本経営」が必要である理由

❶労働生産性の観点から

2015年、痛ましい「電通事件」が起きてしまったことを大きな契機として、2016年に働き方改革担当相が設置され、のちの働き方改革関連法の制定に繋がる「働き方改革」が始まりました。その後、2020年に人材版伊藤レポートが公表されたことで「人的資本経営」が注目を集め、いまも議論が進められています。

時代が進むに連れ、課題感とアクションが変化してきましたが、まずはその流れを振り返っておきたいと思います。

<労働生産性の低い国、日本>

「日本は労働生産性が低い」と言われていることはご存知の方が多いと思いますが、日々目の前の仕事に向き合っている中では、なかなか実感することが難しいのではないでしょうか。

ヨーロッパを中心にアメリカや日本を含めて38か国の先進国が加盟する国際機関であるOECD(経済協力開発機構)。そのOECD加盟国38か国の時間あたりの労働生産性を計測した比較において、日本は27位に位置しています。

実は、1970年〜2019年までの約50年間はずっと20位前後を推移しており、日本の労働生産性が相対的に長く低迷していることが分かりますが、さらに2021年に27位へと急落して現在に至ります。

出典:労働生産性の国際比較2022|公益社団法人日本生産性本部

このようなデータから、労働生産性の低さを改善する必要があると言われている訳です。

<そもそも労働生産性とは>

労働生産性とは、以下のような数式で表すことができます。

労働生産性 = 付加価値 / 総労働時間(年間労働時間 /人 × 人数)

※付加価値は、企業の売上や粗利であり、国のGDP(国内総生産)でもある

この方程式で考えると、労働生産性を向上するためには、「付加価値額を増やす」か「労働時間を減らす」という2通りのアプローチがあることが分かります。本記事の中で、この2通りのアプローチについて再度触れますので、ぜひ頭に置いておいてください。

<働き方改革担当相の設置と、働き方改革法案の施行>

過去50年以上、労働生産性が低いという課題を抱えてきた日本ですが、昨今ではどのような対策が取られてきたでしょうか。

2016年、当時の首相であった安倍氏は「新・3本の矢」として「戦後最大のGDP600兆円」「希望出生率1.8」「介護離職ゼロ」を掲げ、これを実現するためには「働き方改革」が必要だとして、働き方改革担当相を設置しました。その後、議論が重ねられ、2018年6月に働き方関連法案が成立、2019年4月に施行されました。

この働き方改革、みなさんはどのような動きだったと捉えていますか?
実際に働き方関連法案に含まれたのは、以下のような項目です。

■ 時間の上限規制
■ 有給休暇取得
■ 賃金是正

お分かりの通り、働き方改革とは、最低限の労働環境を整備するための動きでした。つまり、労働生産性の方程式で言う、分母にアプローチする手段であったということです。

言わずもがな、このような法的整備は、今後痛ましい事件を起こさないためにも当たり前に必要なものであって、進展があったことは良いのですが、労働生産性の改善という課題に対しては不十分であることがわかります。

そこでようやく、人材版伊藤レポートの提言にもあるように、労働生産性の方程式で言う分子である付加価値を高めること、付加価値とはつまり人が生み出すものであり、人を資本として捉え直す動きがようやく始まって来ているのです。

このような動き無くして、日本の生産性を向上することは叶わず、国としてはようやくその本丸に突入したということになります。

❷産業構造の変化と会計の観点から

続いて、少し労働の観点から離れて、産業構造の変化に目を向けてみたいと思います。

2021年頃より、インダストリー5.0(第五次産業革命)が始まっていると言われているように、これまで世界は何度かの大きな産業革命を経験してきました。

第一次産業革命:水力や蒸気を用いた工場の機械化
第二次産業革命:電気を用いた工場の機械化で、大量生産が可能に
第三次産業革命:電子機器による生産の自動化、およびITが産業として発展
第四次産業革命:CPS(サイバーフィジカルシステム)による新しい生産システムの誕生
第五次産業革命:持続可能性、人間中心、回復力を掛け合わせた産業へ

このような産業革命の動きの中で、会計に新たな視点の必要性を提示することになったのが、第三次産業革命です。

1970年前後の第三次産業革命において、IT産業の興隆により、無形サービスが急速に広がりました。Google や Facebook といったインターネットを基盤としたサービスも、第三次産業革命以降に生まれたものです。

では、第三次と第二次の違いは何だったのか。

第二次産業革命においては、工場で製品を生み出す製造業を中心に産業が発展したため、会社の資産状況を示すBS(貸借対照表)には、ハードである生産設備などが固定資産として計上されていました。

一方、第三次産業革命以降の、Google や Facebook などの新しい会社は、無形サービスを取り扱っており、工場のようなハードな生産設備は多く必要ありません。つまり、売上も、時価総額も、製造業を大きく上回るにも関わらず、BS上は資産が非常に少ない形になってしまうという現象が起こったのです。

無形サービスであるソフトウェアは、機械ではなく、人が生み出すものです。会社は、人を雇用して人件費を計上しますが、これはPL(損益計算書)に反映されるものであって、BSには反映されません。

ソフトウェアなどの無形サービスを扱う産業においては「雇用した人材を、どのように活用して、収益に変えるのか」が肝であるにもかかわらず、現行の会計基準においては、人が生み出す価値が資産として計上されず、資産の実態を表していないため、見直されるべきという議論が始まったのです。

このような背景からも、今回の人的資本情報の開示といった施策を、経産省のみならず、金融庁が主導している理由が見えてきます。

2つの観点から捉えた人的資本の流れまとめ

「人的資本経営」が注目される背景として、「労働生産性」そして「産業構造の変化」の2つの観点から捉えてみました。

労働的な観点では、働き方改革により、ようやく基本的な労働環境の改善が行われ、いよいよ生産性の向上のために必要な、人材価値を高めて売上や粗利を上げるアクションが求められるようになってきたこと。

産業構造や会計的な観点で言うと、人的資本(≒資産)をどのように確保して、育てて、収益に変えていくかを考えていく必要性が非常に高まってきたこと。

このような背景から、いま「人的資本経営」が必要であると言うことができます。

これから何が起こるのか、企業が人的資本経営に向けて検討すべきこと

ここまで見てきた流れを受けて、2023年3月期決算から上場企業を対象に情報開示が義務化されました。しかし実際には、開示に向けたガイドラインが出されているだけで、義務とは言え、かなり自由度が高い状態と言えます。

人的資本は概念的でまだ明確な基準がないため、業界や企業規模によっても捉え方が異なる可能性があります。そこで、これから実際に開示されるデータを含めて検討しながら、国としての方向性やルールを明確に定めていく流れになるだろうと考えています。

ここで、これまでの働き方改革の動きのタイムスパンを見てみると、以下のようになります。

 働き方改革
 2016年8月:働き方改革担当相設置
 2018年6月:働き方改革関連法案の成立(参議院で可決)
 2019年4月:法案施行

働き方改革担当相の設置から約3年ほどで法案の施行となっているのがわかります。このタイムスパンを人的資本の動きに当てはめてみると、以下のようになります。

 人的資本経営
 2022年:人的資本経営コンソーシアム設立、人的資本元年
 2023年:人的資本の開示義務スタート
 2023年〜:具体的なルールや法案が発案、審議?
 2025〜2026年:人的資本に関わる新法が施行?

2022年から数えて、おおよそ3年ほどかけて、開示のルールや罰則などが整備されるのではないかと考えることができます。

では、この流れを受けて、企業はどのようなことを検討していかねばならないでしょうか。

人的資本経営を目指す上では、事業展開を「国内」「国外」どちらで目指すのか、もしくはどのようなバランスを目指すのかという方向性を明確にしていくことがまず必要です。それによって、情報開示の目的も、項目も異なってくるからです。

出典:一般社団法人 人的資本経営推進協会

例えば、国内(日本)での事業展開を目指す場合、労働力不足という深刻な社会課題がある中で、いかに優秀な人材に選んでもらえる会社であるかがより重要になると言えます。よって、開示項目としては、エンゲージメント、スキル獲得、給与水準等が求められることになります。

一方、海外での展開を目指す場合(もちろん、国や地域により事情は様々ではあるのですが)、日本と比較すると労働力不足というよりも、年代や性別、国籍などを超えた多様な人材を惹きつけるダイバーシティマネジメントが重要になります。

このように、事業戦略によって人的資本経営を実現していくための注力ポイントも異なるため、経営戦略として何を重視するかを決め、それを実現するために開示していくデータを選定し、国が定める最低限の開示と合わせてストーリーを作っていくことが重要なのです。

企業経営では、人的資本経営に向けた新たなリソースを準備して進めていくのは大きな投資になります。しかし、今回の記事で見てきたように、「労働生産性」「産業構造の変化」双方の観点からも、今後人的資本経営が求められていくことは確かであり、だからこそいまから準備をしていく必要があります。

私が代表理事を務める人的資本経営推進協会では、このような人的資本経営に向けた情報発信やイベントなどを開催しています。随時問い合わせも受け付けておりますので、お困りのことがあればお知らせください。


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