文系博士課程後期課程1:進学するのは誰
学部を卒業したら博士課程前期課程に進学し、修士の学位を取得したら、今度は博士課程後期課程に進学する。後期課程の標準修業年限を修了したときには27歳。こうしたある意味典型的な大学院人生がある一方で、学部を卒業後は企業や役所に就職し、15年程度の実務経験を積んで、管理職あるいはその一歩手前で社会人大学院に進学し、後期課程まで終えて40半ばという人生もあります。
博士課程後期課程の進学目標が研究者になることである場合、それが特に社会科学系である場合には、私自身は迷わずに後者の道を選択すべきと考えています。社会科学が対象とする様々な研究課題を解決しようと試みるときに、過度な仮定の導入やモデル化を介した分析では、実際問題への解決力が乏しいことは言うまでもありません。学会で大学院生や若手の研究者が、モデル化や定量分析に過度に偏って現実的でない考察の展開に多くの研究時間を費やしたのであろう報告を聞くと、所詮は(悪い意味での)学問のための学問という思いがよぎります。
社会科学の研究には、実社会を相当程度理解することが重要で、それを踏まえて、実務経験を有する研究者を多数社会に輩出することが、昨今の研究者養成における重要課題だと考えることが大切ではないでしょうか。むなしさの残る実践可能性のない研究に優秀な研究者の時間や人生が費やされるべきではないと私は考えています。
大学院は出たけれど、また、博士学位を取得したけれど、就職先がないという状況も、そう簡単には改善されないと思います。ならば、社会人として生活の糧を稼ぎ、実務経験を重ね、私費で博士後期課程に進学しようという志を有する社会人を、将来の研究者として養成することが、ご本人にも社会に有益な選択肢ではないかと強く感じています。
いま、日本全国では定員割れを起こしている博士課程後期課程は数多といえます。つまり、それだけ博士課程後期課程での研究指導を行うキャパシティが日本の大学院にはあるのに、それが活用されていないという状況にあります。この定数割れを社会的に有効に活用する手立ては、社会人大学院生の積極的な受け入れです。
ただし、日本の文系大学院には、博士課程後期課程の入学試験で、英語等の外国語の試験を課さない大学院が少なくありません。いくら学生を集めなければならないといっても、語学の試験をなくしてまで進学者を増やそうという発想には反対です。英語の論文も読めない研究者がいくら増えても、そこには大きな限界が生じます。
日本は人口が1億人をゆうに超えていて、日本語だけで研究者としての人生(≒大学教授)を過ごすことができることも事実です。しかし、この状況は好ましくないと考えています。私には、バングラデッシュ、ハンガリー、ルーマニア、ギリシャ、イタリアなどに研究者の友人がいますが、この方たちは誰一人として母語で研究を進めることはできません。研究を進めたいなら、大学にポストを得たいのであれば、研究者としての英語を修得することが最低限のMUSTになります。研究者になる以上、たとえ、日本で活動するにして、こうした研究の国際環境を理解していくことが重要です。
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