約20年間極真空手を続けた学生#4
極真空手の道場では、中学生に上がると一般部(大人組)に分類され、組み手等の稽古もより激しくなります。私が一般部になった初めの頃、一般部とそれ以下が隔絶した物であると認識した経験についてまとめます。
極真空手では中学生以上を一般部、小学生以下を少年部と呼び、少年部では胴体のサポーターを着用して組み手が可能、一般部ではサポーター着用厳禁といった事や、少年部は拳立て50回、一般部は百回等の稽古の質が変わってきます。
私が一般部になり、最も稽古で差を感じたものは組み手です。一般部に上がった初日、当時高校生であった道場生と組み手をし、圧倒されました。少年部までの手心が一切なく、倒すことを目的にした組み手だったのです。その日は手も足も出ず、組み手が終わりました。
後々聞いた話ですが、当時私が圧倒されている様子を見て、師範は私が組み手に対して怖がってしまうのではないかと感じていたようです。しかしそのような事はなく、自身の中では当たり前の結果だと受け入れておりました。中学生が大人の中に入って組み手を行うのであれば勝つことは難しいと心の中で諦めと妥協があったのだと思います。
私が一般部の稽古に慣れて来た頃、普段よりも実践向きの稽古が行われました。普段の組み手の力と速度が6割り強ほどとすると、その時は8割で組み手をし、試合に近い形で組み手を行う練習試合のようなものです。勿論その稽古でも周りに居る人は皆大人であり、私が最年少でした。
稽古の結果、勝つことは叶いませんでしたが、ここでも臆する事もなく、苦しいと感じても少年部の時に感じていた稽古をしたくないといった感情は有りませんでした。勝つ事に対して妥協や諦めは有れど、稽古に向かい合う姿勢が変わっていたのです。
自身では実感しづらい変化ですが、私はその変化をはっきり感じました。痛いことも苦しいことも好きでは有りませんが、組み手稽古中は先の組み手で何が悪かったのか、何を目的に組み手をして、その目的を達成するにはどうすればよいかをずっと考え続けていました。子供の成長は早いとよく言いますが、それを自身で体感するとは思いませんでした。
私は一般部まで空手を続けることで、心身の成長を実感する体験を得ました。それにより、少年部の頃と比べ、大きな変化であり、隔絶した環境に適応する事が可能な自身の成長に対し、喜びと楽しさを感じておりました。この経験から私は、初めの頃はネガティブな感情を持ってしまう事柄でも、続けていくとその感情が消え、目の前の物事から楽しみを見出す事を学び、そしてその能力が自身に身に付きました。