『2024 イタリア・ボローニャ国際絵本原画展』と、幼い頃の読書体験
先日、仕事を終えて帰宅する途中、駅の壁に貼ってあった一枚のポスターが目についた。
ひと目見て、これはよさそうだと思った。頭部だけの印象だとアリクイのような、しかし身体全体だとホッキョクグマのようにも見える、なんだかよく分からない、二等辺三角形の顔を持つ白くて大きな生き物が、より小さくて青い鳥のような生き物を抱きしめ、優しく目を閉じている。その青い鳥の、怯えと安心とがないまぜになったような複雑な表情と、身を寄せ合った彼らの周囲をとりまく、穏やかで優しい紺色の闇の色合いが、とても美しいと思った。
帰宅後、妻にポスターのイラストを見せ、見に行かないかと相談してみると、快く同意してくれた。
公式サイトの紹介文によると、『イタリア・ボローニャ国際絵本原画展』は、なんと1978年から50年近くも続く、歴史ある展覧会らしい。
大元になっているのは、北部イタリアの都市ボローニャで開催されている、子供向けの本専門の国際見本市、『ボローニャ・チルドレンズ・ブックフェア』だ。そこで開催されている絵本原画のコンクールで入選した作品を、この『イタリア・ボローニャ国際絵本原画展』では紹介しているらしい。
(公式サイト曰く)絵本作家の登竜門とされているコンクールだけあり、展示されていた作品は、どれも色彩感覚にすぐれ、鮮やかでユーモアに満ち、子供の頃の素朴な喜びや記憶を蘇らせてくれるような、豊かなイメージ喚起力に満ちていた。
会場内は写真OKだったので、妻に撮ってもらったものの一部を掲載する。私は写真を撮るのが死ぬほど下手くそなので、こういう時の素材は、いつも妻に頼りっぱなしである。
作者数も作品数も非常に多いので、個々の作品の感想には踏み入らないが、作家レベルで気に入ったのは、イランのアミール・アラーイー、アルゼンチンのホアキン・カンプ、カナダのマノン・ゴチエ、アメリカのジェイコブ・グラント、日本の松井あやか、チェコのトマーシュ・ジーゼック、イギリスのナタリア・シャロシュヴィリと、ルビィ・ライト。ちなみに、チェコのトマーシュ・ジーゼックは、冒頭に掲げた公式ポスターにも採用されている『ピピとキキ』の作者でもある。
なかでも個人的に特に良いと思ったのは、日本の松井あやかという作家だ。『あのやしきには ゆうれいがでる』というタイトルの一連の作品は、三つ編みをおさげにした黒服の少女が、貴族の邸宅のような豪奢な建物の中で、様々な怪異(幽霊)に遭遇する場面を描いている、私好みのメルヘンな作風だった。
食堂や、応接間や、階段など、建物のいたるところに幽霊はいる。その姿は、首から上のない紳士だったり、輪郭の曖昧な白い影のようだったり、あるいは完全に人としての形を逸脱して、やたら鼻のとんがったモグラかハリネズミのような、動物的な姿になってしまったものなど、様々だ。その独特な、作者の個性を感じる幽霊たちのイメージが、テンプレート的なものでないのが面白かった。
おさげの少女は、彼らの存在を認知してはいるが、ことさらに恐れている様子はない。むしろ、どちらかといえば興味を惹かれるものを見つけ、それをじっと眺めているといった印象を受ける。この少女にとって、死者とは忌避すべきものではないのだろうか。幽霊達の方も、それなりに恐ろしげに描かれてはいるが、彼女に危害を加えようとしているようには見えない。この奇妙で恐ろしくも、どこか根底に優しさを感じる世界観が、私はとても気に入った。
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そういえば、印象派の絵画展を見に行った際にも同じことを思ったが、手持ちのスマホで撮影した写真では、原画の持つ絵としての良さがまったく伝わらない。色彩の鮮やかさや、筆跡などを捉えきれておらず、全体的にのっぺりとした、平面的な印象に変化してしまっている。実物はもっと美しいし、色の出方が全然違うので、興味がある方は、ぜひ実際の展示の方を見に行ってもらいたい。
印刷物(絵本)も同様、原画を先に見てしまうと、どうしても見劣りする。帰りぎわに、アンドレア・アンティノーリというイタリアの作家の、『Solo una noche』という、まだ日本語訳はない絵本を購入したのだが、展示されていた原画から受ける印象とは、かなり大きな隔たりがあった。流石にスマホで撮った写真ほどではないので、鑑賞して楽しむのに支障はないが、それでも少しばかり残念に思う気持ちは否めない。
なお、気になっていた松井あやか氏の絵本も購入したかったのだが、売店では見つからなかった。売り切れていたのか、そもそも出版されていないのかはわからないが、氏の世界観にはとても興味を惹かれていただけに、残念なことである。
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帰りの電車の中で考えていたのは、自分自身の幼少期の読書体験のことだ。子供の頃の私は、どんな絵本を読んでいただろうか。振り返ってみると、かなり記憶が曖昧であることに気付く。確実に読んでいたと自信を持って言えるのは、『ぐりとぐら』、それに『はらぺこあおむし』くらいで、『三匹のやぎのがらがらどん』や『スイミー』に触れたのは、もう少し大きくなってからだったと思うが、この辺りもだいぶ朧げだ。
一方で、小学校に上がってからは、かなりハッキリした記憶が残っている。絵本からは離れるが、まず何をおいても好きだったのは、『エルマーのぼうけん』だ。
今ではもう部分的にしか物語の筋を覚えていないが、このハラハラドキドキする冒険譚を、幼い頃の私は、夢中になって読み耽った。喘息の治療のために通っていた病院に置いてあった、ファーブルの『昆虫記』も愛読書だった。アリやフンコロガシ、ジガバチやトックリバチなどの昆虫のユニークな生態に魅了され、診察の順番を待っているあいだ、何度くり返して読んだかわからない。
トーベ・ヤンソンの『ムーミン』シリーズは、三十代も半ばを過ぎようとしている現在でも、たまに読む。大学生の頃に文庫版を買い直して、実家から持ってきたのだ。ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』、『鏡の国のアリス』も同様だ。こちらも膨大な注釈のついたバージョンを買い直しており、好きな時に読み返しては、こことは異なる世界の冒険を楽しんでいる。
絵本や児童書は、自分自身でも忘れている記憶を呼びさましてくれる。かつて自分がそこで遊んでいた「不思議の国」を、あるいは、竜を助けに行った「どうぶつ島」での冒険を、私も含め、ほとんどの大人は忘れてしまっているだろう。絵本や児童書は、すべてではないまでも、その一端を我々に思い出させてくれる。私が絵本や児童書を好きな理由は、そういったところなのだ。
『イタリア・ボローニャ国際絵本原画展』は、毎年やっているそうなので、2025年も行ってみたいと思う。来年はどんな作家がコンクールに入選し、どんな世界を見せてくれるのか、今から楽しみである。