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【ひなフェス!2025】ネコ人の冒険
本記事は、ココノエマツキさん主催のカニ人ワールド非公式ファンイベント『ひなフェス2025』の参加作品です。
◆◆◆
季節外れに暖かいある冬の日のこと。
暇を持て余したネコ人が道を歩いていました。
彼らは普段、ごく普通の猫にまぎれてニンゲンたちの近くで生活していますが、よく捕まって保健所に送られています。
このネコ人も、つい先ほど保健所を脱走してきたばかりでした。
ネコ人は普通の猫と違って二本足で歩き、言葉を話します。
とり人やデス種と呼ばれる生き物をからかって遊んだり、猫のフリをしてニンゲンから食べ物をもらったり、盗んだりするのが趣味です。
しかし今はそのどちらも楽しむことができません。
保健所の係員の目の届かないところへ行こうと思い、あちこち逃げ回っていたのは良いのですが、そのせいで逆に自分が今どこにいるのかわからなくなってしまったのです。
いわゆる迷子というやつでした。
「……だめだニャ。どっちへ行ったらいいか皆目見当がつかないニャ。困ったニャ」
つぶやくと同時にお腹が鳴りました。
ちょうど朝の食事が来る直前に保健所を脱走してしまったので、昨日の夜から何も口にしていなかったのです。
「……お腹すいたニャ。何でもいいから食べたいニャ……」
ぼやきながら天を仰ぐと、ふいに視界を小さな影がよぎったことに気づいて、パッと目を見開きました。
「ニャ⁉︎ あれは一体何ニャ?」
飛んでいたのは小さな鳥でした。
カケスくらいの大きさの、紅白の羽が美しい鳥です。
「うまそうだニャ……よし、今日の昼飯はアイツに決定ニャ!」
鳥本人に聞こえないように小さな声で叫ぶと、ネコ人は後を追いかけ始めました。
柔らかい肉球としなやかな筋肉のおかげで、普通の猫と同じく、ネコ人もまた足音を立てずに移動することができます。
鳥は自分が狙われていることにはまったく気付いていない様子で、悠々と木の上を飛んでいましたが、やがて高度を下げて一軒の民家の屋根に降り立ちました。
「しめたニャ。今のうちに近づいて仕留めてやるニャ……!」
ネコ人はさっきよりも静かに、細心の注意を払って抜き足差し足で鳥のいる方へ近づいていきました。
しかし、あとほんの少しで飛び掛かれる距離まで来たところで、鳥は急に身をひるがえして空の彼方に飛び去ってしまいました。
「ニャー⁉︎ 惜しかったニャ、あとちょっとだったのにニャ……」
ネコ人は歯がみして悔しがりましたが、やがて目の前にある民家に目を留めました。
「ニャ、よく見たらこんなところにニンゲンの住処があるニャ。誰か住んでるのかニャ? もしかしたら、ここから食べ物を失敬できるかもしれないニャ」
そう言うと、ネコ人は玄関へ足を踏み入れました。
家の中はひっそりと静まり返っています。
玄関から一直線に伸びている廊下は奥へ行けば行くほど薄暗くなり、ネコ人の優れた視力でも、かろうじて物の輪郭が掴めるか掴めないかというレベルでした。
人がいるような気配はまったくありません。
「……うーん、ダメそうだニャ。ここにはまったく生活の気配を感じないニャ。どうやら空振りだったようニャ」
肩を落としたネコ人が、再び玄関から出ていこうとしたそのときです。
ふいに廊下の奥から不思議な音が聞こえてきました。
「ニャ?」
ネコ人は三角形の耳をピクピクと動かしました。
ともすれば消えてしまいそうなほど小さな音ですが、それは明らかにメロディを伴っていました。
音楽です。
誰かが、あるいは何かが音楽を奏でているのです。
少しかすれたような笛の音色、楽しげに打ち鳴らされるポンポンという鼓の音。
いわゆるお囃子というやつでした。
「おかしいニャ。さっきまで何の物音もしなかったのに……誰かいるのニャ?」
しかし、呼び掛けても返事はありません。
それでも軽快な音楽は続いています。
しかも、不思議な現象はそれだけでは終わりませんでした。
廊下の奥の闇の中に、ふいに明かりが見えたのです。
どこかから漏れ出てきたかのような、細い光の筋が。
「明かりだニャ。やっぱり誰かいたのかニャ」
ネコ人は玄関を上がり、突き当りの部屋の前まで行きました。
光はそこから漏れてきています。
お囃子の音もそこから聞こえていました。
「怪しいニャ。正体を突き止めてやるニャ」
ネコ人は襖の取っ手に手をかけると、ほんの少しだけ戸を開いて室内を覗き込もうとしました。
しかし、襖が数ミリ開いたか開かなかったかというところで、ネコ人の身体は猛烈な勢いで引っ張られました。
背後から猛烈な風が吹きつけてきて、脚が宙に浮きそうになるのを感じます。
家屋全体がまるで地震か台風のときのようにぐらぐらと揺れ、まるで部屋そのものがネコ人を吸い込もうとしているかのようでした。
「ニャ、ニャにいぃぃぃぃぃぃ⁉︎」
ネコ人は叫び声をあげ、必死に床や壁に爪を立てて踏ん張ろうとしました。
しかし間に合わず、手足が離れ、そのまま目もくらむような光の渦に吸い込まれたかと思うと、あっという間に気を失ってしまいました。
◆◆◆
目を開けると、知らない天井が見えました。
立ち上がって周囲を見回すと、さっきまでは薄暗い廊下にいたのに、今は板張りの物置のような部屋に変わっており、外からはざわざわと人の話し声や足音が聞こえてきます。
空気が埃っぽく、鼻がムズムズしてきて、ネコ人は思わずくしゃみをしました。
すると、階段の下から誰かが上がってくる気配がしました。
ネコ人は慌てて近くの荷物の陰に隠れます。
「あれ、おかしいなあ?」
現れたのは、洋梨に目と鼻を付けて服を着せたような、とても奇妙な姿の生き物でした。
「どうしたんだい?」
「いや、変な物音がしたと思ったんだが……どうやら気のせいだったみたいだ」
階下からの問いかけに答えつつ、その不思議な生き物はまた階段を下りていきました。
隠れ場所から出てきたネコ人は、ほっと安堵のため息をつきました。
「あんな奴見たことないニャ。ここは一体どこなのニャ?」
窓から外の様子を眺めたネコ人はびっくり仰天しました。
そこは古風な城下町のような造りの通りで、見たこともない生き物たちが沢山歩いています。
一番多いのはあの洋梨のような生き物。
外見も多種多様で、老若男女はもとより、髭の生えているもの、口紅をつけているもの、派手な装飾品を身に着けているものなどもいて、まるでニンゲンのようです。
他にも人魚や人獣のような生き物も目につきましたが、それらはネコ人がこれまでに見たこともない種族ばかりでした。
不思議なのは生き物たちばかりではありません。
地面は鮮やかな紅白模様、空は見渡すかぎり屏風のような金色で、絵の具で塗りたくったような大きな富士山をバックに、鷹やら茄子やらといった何だかおめでたい雰囲気のものたちが悠然と飛び回っているのが見えます。
「すごいニャ、どうやらあの民家は異世界への入り口だったみたいだニャ」
ネコ人は興奮して叫びました。
どうやらネコ人がいるのは通りに並んだ商店の一角のようです。
窓から外に出てみると、道行く人々の活気をより間近に感じることができました。
まるでお祭りのような雰囲気に、ネコ人は何だか楽しい気分になってきました。
「賑やかでいい感じだニャ。せっかくだし色々と見物して回ってみるかニャ」
そうして歩き出そうとしたとき、ネコ人のお腹がぐうと鳴りました。
そういえば、昨夜から何も食べていなかったのを忘れていました。
「し、しまったニャ……とにかくまずは何か腹に入れないと倒れてしまいそうだニャ」
途端にふらつき始めた足取りで近くのお店に向かい、何か食べ物はないかと尋ねようとしました。
あいにく店番は席を外していましたが、店先にはおいしそうな餅やらお饅頭やらといったものが所狭しと並べられていました。
「ごくり……」
ネコ人は思わず唾を飲み込みました。
上着のポケットを探ってみますが、所持金はまったくのゼロ。
そもそもこの異世界で元の日本の通貨が使えるのかも定かではありません。
しかし、このまま手をこまねいていては飢え死にしてしまいます。
それではあんまり自分が可哀想だとネコ人は思いました。
「……ニャっ!」
すばやく左右に視線を走らせたと思った次の瞬間、ネコ人はサッと手を伸ばして店先に置いてあったお菓子をひっつかみ、口の中にぽいと放り込みました。
「これは仕方のないことだニャ。生きるために犯した罪は罪ではないニャ。お天道様もきっと許してくださるはずニャ」
もごもごと口を動かしながらネコ人は言いました。
それからしばらく通りを見物しながら歩いていると、またしてもお腹が大きな音を立てました。
「さっきのじゃ全然足りなかったニャ。もっと欲しいニャ。次はしょっぱいものが食べたいニャ」
ネコ人はまたしても店先の商品をかっぱらいました。
この世界の住民は軒並み警戒心が薄く、隙を見て商品を盗むのは簡単でした。
店番も、通行人たちも、誰一人としてネコ人の行動を不審に思っている様子はありません。
ネコ人は知りませんでしたが、この世界──縁起の国ではとある事情で住民たちのあいだに悪心がほぼ芽生えず、したがって犯罪もほとんど起きないのです。
天敵となる捕食者がいない場所では生き物たちから警戒心が失われるのと同様、悪人がほとんど存在しない縁起の国では、防犯意識が醸成されることもなかったのです。
誰にも見咎められないので、ネコ人は調子に乗って色んなお店から食べ物を盗みまくりました。
しかし流石に調子に乗りすぎたのでしょう、そんなネコ人にもとうとう天罰が下るときがやってきました。
「ちょっとお客さん、まだお代をもらっていませんよ」
呼び止めてきたのは、大きな頭に裃姿が特徴的な『福助』という種族でした。
通りに並んだ店の多くにそっくり同じ姿の個体が沢山いて、それぞれのお店で店主をしています。
ネコ人は思わずぎくりとしました。
あまりにも盗みが上手くいっていたので、ネコ人の方でも自分の悪事がバレることに対する警戒心を失ってしまっていたのです。
四つの腕で三つ指をつき、正座したまま無表情で見つめてくる福助の姿には何とも言えない迫力があります。
「……っ、すまんニャ!」
凝視されるのに耐えられず、ネコ人は脱兎のごとくその場から逃げ出しました。
お金を持っておらず、支払いできないのですから当然の選択です。
福助は自分が食い逃げされたのだと気付き、烈火のごとく怒りました。
「こ、こらあぁぁぁぁ! 待てえぇぇぇぇ!」
ネコ人を追いかけて表通りに出てきた福助。
その髪の生え際あたりがパカリと上下に開き、中から長い舌がだらりと垂れ下がってきました。
さらに着ていた裃を脱ぎ捨てると、中から青くてつるりとした肌があらわになります。
商人然とした装いは世を忍ぶ仮の姿。
福助の正体は、四つの腕と四つの脚をもつカエルの化け物だったのです。
「ニャあぁぁぁ⁉︎ ニャんだアイツは……めっちゃ怖いニャ! こっちに来るニャ!」
後ろを振り返ったネコ人は、突如として変貌した福助の姿に恐怖の叫びをあげました。
通行人たちが驚いた顔で見つめる中を、福助はものすごい勢いで追いかけてきます。
「誰かそいつを捕まえてくれ、食い逃げだ────!」
「えっ、なに、食い逃げ⁉︎」
助けを求める福助の声に反応したのは、空を巡回中のパトロール隊、赤く膨らんだ身体が特徴的な『金魚提灯』の一団でした。
縁起の国では犯罪発生率はほぼゼロに近く、年がら年中いたって平和そのもの。
パトロール隊と立派な名はついてはいるものの、ひねもす空を飛んで駄弁っているばかりがその実態。
掃いて捨てるほどの暇を持て余していた彼女たちは、本来起こるはずのない犯罪発生に色めき立ちました。
「驚いたわ。この国で事件発生だなんて、とんだ悪い奴もいたものね……このまま一生暇な日々が続くのかと思ったけれど、私たちの存在意義は今日この日のためにあったのかもしれないわね……いいわ、パトロール隊の名に懸けて、必ず犯人を捕まえてやりましょう。いくわよ、みんな!」
リーダーである個体が叫ぶと、周囲に浮かんでいる金魚提灯♂たちが縁起の国中に散らばっていきました。
彼らはとにかく数が大量におり、福助の追跡を逃れて屋根の上を走っていたネコ人をあっという間に見つけ出してしまいました。
「こっちにいたぞ!」
「よしきた、そのまま追い詰めろ!」
ネコ人からしたらたまったものではありません。
ただでさえ福助は図体の割には縦横無尽に移動でき、ネコ人の身軽さをもってしても振り切るのが大変なのです。
そのうえ空から来られたら捕まってしまうのは時間の問題でした。
「や、やばいニャ。こうなったら作戦変更、どこかに身を隠すしかないニャ……!」
ネコ人が隠れる場所を求めて町中を駆けずり回っていると、行く手に呆れるほど大きな屋敷が現れました。
どこぞの大神社かと見まがうほどの御殿が軒を連ね、それらを囲む白壁の瓦塀が、果てが見えないほどどこまでも続いています。
誰の所有か知りませんが、これほどに大きな屋敷であれば、たとえネコ人が一匹紛れ込んだとしても気づかれる心配はないでしょう。
そう思ったネコ人は、さっそく塀を乗り越えて敷地の中に侵入し、何やら騒がしい声がする広間の襖をそっと開き、中の様子を覗いてみました。
面積にして優に二百畳はあるであろう、広大としか表現しようのないその部屋の中では、絵にかいたようなどんちゃん騒ぎが行われていました。
笛や太鼓でにぎやかな音楽を奏でているのは、とぼけた顔つきの人竜族♂たち。
それに合わせて楽しげに舞を舞ったり歌ったりしているのは、雪洞や高坏に載った菱餅、駕籠や長持に火鉢に牛車など、おめでたい行事などでおなじみの道具たちでした。
一段高くなった上座にはひな壇が設けられており、最上段には檜扇を手にした煌びやかな装いの女性がいて、つがいと思しき人竜族♂をまるで椅子のようにして、悠然とその上に腰かけていました。
「同族とはいえ竜種を椅子代わりにしてるニャ。あれはきっとすごく身分の高い人竜ちゃんに違いないニャ……」
「おい、そこのお前、そんなところで何してる」
「ニャっ──⁉︎」
室内の光景に目を奪われていたネコ人は、完全に油断していました。
いつのまにか背後に近づいてきていたのは、広間にいる什器や家具の仲間たち。
どうやら彼らはあの煌びやかな人竜族の女性の家来のようです。
不法侵入を咎められると思ったネコ人は咄嗟に逃げようとしましたが、家来の一人がネコ人を呼び止めました。
「いいところに居た。おひなさまへ披露する出し物に欠員が出たのだ。ちょっとこっちへ来て手伝ってくれないか」
「ニャ……ニャに? 出し物?」
何を言われているのかわからず戸惑うネコ人でしたが、家来たちは気にせず屋敷の奥へとネコ人を引っ張っていきます。
そこで奇抜な衣裳を着せられ、状況が飲み込めないまま広間へと連れてこられたネコ人は、命を持った酒瓶や茶道具たちとともに不思議なダンスを踊らされていました。
それは一見すると無茶苦茶なものでした。
手をつないで輪になったり、やたらと腰をくねらせたり、かと思えば激しく飛んだり跳ねたり……。
しかし会場は盛り上がっていました。
特にネコ人は家具や什器が化生した家来たちと違って手足が長く、関節が柔らかいので、彼らには到底真似できない複雑な動きをすることができます。
それが何とも形容しがたい可笑しさを生み出すらしいのです。
「おい見ろ、あの猫のような者の動き……! どうやったらあんなヘンテコな踊りができるのじゃ! ふふっ……あははは!」
この屋敷の主であるおひなさま、まさかの大ウケです。
腰かけていた夫から立ち上がると、腹を抱えて笑っています。
これにはイマイチ状況が飲み込めていなかったネコ人もまんざらではない心境になりました。
やる気に火が付いたネコ人は、大勢の観客の前で次々と大道芸の持ちネタを披露。
鼻の下に小銭をつけ、ざるを振り振りユーモアたっぷりに踊るどじょうすくい。
傘の上でボールや陶器など様々なものを回転させる太神楽。
手鞠や刀剣などを高く放り投げてキャッチする放下などを惜しげもなく披露し、満場の喝采を浴びていました。
会場の盛り上がりは最高潮です。
「早く……早く次の芸を見せい!」
おひなさまがそう叫んだときでした。
突然、一人の家来が血相を変えて会場内に飛び込んできて、ひな壇の下に跪きました。
「お楽しみのところ失礼いたします。おひなさまにご報告があります!」
せっかくの楽しい宴会に水を差された不機嫌さを押し隠しつつ、おひなさまは厳かな口調で尋ねました。
「どうした。何があったのじゃ?」
「パトロール隊からの報告によれば、この国に盗人が現れたとのことです」
会場が水を打ったように静まり返ります。
縁起の国では悪心が極めて発生しにくく、国中どこをとっても平和そのもの。
他人の物を盗もうと考える者など、本来ならば存在するはずがないのです。
「あり得ぬ。この国の住民に限ってそのようなこと……おそらく外から誰ぞ迷い込んだのだろう。して、その盗人の風体は?」
「はっ。二足歩行の猫のような姿をしているとか。しかもその犯人は、この屋敷に潜伏している可能性が高いとのことです」
皆の視線が、まるで舞台上にスポットライトを当てるように一斉にネコ人に集まります。
そのとき周囲の襖が一斉に開き、怒り狂った福助や金魚提灯のパトロール隊が会場内に踏み込んできました。
聞き込みや目撃情報をもとにネコ人の隠れ場所を突き止めた彼らは、密かに屋敷の周りを包囲していたのです。
ネコ人は咄嗟に逃げようとしましたが間に合わず、あの福助が伸ばした長い舌に捕らえられ、あえなく御用となってしまいました。
「おひなさま、この者にお裁きを。こやつは多くの盗みを働いております。わたくしの店だけではありません。他の福助たちも被害にあっているのです」
縄で縛りつけられ、ネコ人はひな壇の下に正座させられていました。
周囲は福助や金魚提灯たちに囲まれ、逃げ出せるような隙はありません。
最上段に座り直したおひなさまは、またしても厳かな口調で言いました。
「この国に穢れを持ち込んだ者は国外追放とするのが習わしじゃ。デウスエクスマキナ国へつながる川へ流すのじゃ」
「でうせ……くのまきあ……? 何なのニャそれは? どういうところニャ?」
ネコ人が尋ねると、周りにいる福助たちはごくりと唾を飲み込みました。
その反応から、そこがとてつもなく嫌なところなのだろうという察しはつきました。
「とても恐ろしい場所じゃ。絶望と怨嗟の炎が渦巻く、強大な呪詛の王が治める国。わが国は常にかの国からの脅威に晒されておる」
「嫌だニャ。そんな怖いところ絶対に行きたくないニャ。どうか許してほしいニャ」
ネコ人はべそをかいて隣にいた福助にしがみつきました。
福助は心底鬱陶しそうな顔をしながら、おひなさまに訴えるような視線を向けました。
おひなさまはしばらく何事か考えているような風でしたが、やがて静かに口を開きました。
「とはいえ、実は妾もこの件にどうカタをつけるべきか悩んでおる。不思議な話だが、そなたには邪気を感じぬのだ。とてつもない阿呆である気配はするが、今回のことも、あくまで腹が減ったから手近にある物を盗っただけで、あえてそこの福助たちを苦しめてやろうという意図はなかったのであろう。違うか?」
「もちろんニャ。ネコ人はそんなひどいやつではないニャ」
ネコ人の返事に、おひなさまはうんうんと頷きました。
「であれば話は変わってくる。そなたは罪を犯した。それは間違いない。とはいえそれはかの国へ送るほどの大罪ではない……では、そなたが元々いたという世界へ追放するか。しかしそれだけでは何の罰にもならぬ。それでは追放ではなくただの帰還だからな」
「……ではネコ人はどうすればいいニャ? どうすれば今回の罪を償えるニャ?」
おひなさまは着物の帯のあたりを探ると、そこから何かを取り外してネコ人の前に放り投げました。
畳の上に転がったそれは、魚の形をした木彫りの根付でした。
ネコ人が意図を察しかねて首を傾げていると、おひなさまは言いました。
「それは通行証じゃ」
「通行証?」
「それがあれば結界を通り抜けていつでもこの国に来られる。妾の召喚に応じ、ときどきでいいから今日みたいに皆に芸を披露せい。それで許してやる」
「ほ、本当ニャ? そんなことで許してもらえるのニャ?」
「ああ、だが中途半端な芸は許さんぞ。腕によりをかけてくるのじゃ。皆もそれで良いか?」
福助たちは渋々といった様子で頷きました。
他でもないおひなさまがそういうのですから仕方ありません。
次は自分たちも観に来るから、盗んだ分しっかり面白いものを見せてくれと言われ、ネコ人は深く頷きました。
「わかったニャ。今度はもっとすごいものを仕込んでくるニャ。楽しみにしていて欲しいニャ」
◆◆◆
こうしてネコ人は窮地を乗り切ることができました。
あの恐ろしいデウスエクスマキナ国へ流されることはなく、元の世界へ帰ることができたのです。
おひなさまからもらった通行証の根付は、それから肌身離さず持ち歩くようになりました。
もうあの民家のように偶然開いたワープゲートを探す必要はありません。
それが眩しく光るのは、縁起の国がネコ人を呼んでいる合図だからです。
いつ呼び出されても良いように、それからのネコ人は大道芸の稽古に身を入れるようになったのでした。