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「和をもって」の本当の意味は?
実は日本人が「どこから来て」、「いつ出来たか」というが明らかになったのはごく最近です。なので皆さんは学校では教わってないはずです。
ただ、ニュースで聞いたことがあるかもしれません、最初の人類(アダム)はアフリカにいたのです。それは細胞核のDNA解析によってわかりました。
そして我々日本人の直接の祖先である縄文人は何者か?
実はこの縄文人のDNAは、アフリカから出た最初期のタイプ(ハプロタイプといいます)のひとつで、ユーラシアを東へ、日本までたどり着き来ました。現在アジアで大勢を占める中国や朝鮮半島の人たちとは全く違う、他と隔絶された地域=つまり、島国の日本と高地のチベット、にだけに残され、独自の進化を遂げた人類だということです。
そしてその後、弥生時代になると長江周辺にいた人々によって稲作がもたらされ、日本にも大きな社会集団が生まれ、大陸との往来の中でさまざまな渡来人も日本に来るようになります。
(だから、中国南部にも日本にも「越」という国名があるというのは偶然とは思えないんですよね、どちらもお米の産地だし)
面白いのは縄文・弥生2つのタイプの人類はしばらく別々に暮らしていたらしいということですね。国境で別れていたとかじゃないですよ、混在していて山の方に住んでる人(縄文人)、平地の方に住んでる人(弥生人)、交わらなくても、片方が片方から奪ったり、殺したりせずで、何百年間もご近所同士でうまくいっていたというのが(この戦いの記録は発掘されていないのです)、自然の恵み豊かな日本列島ならではだと思いますが、これがひとつにまとまって、縄文×弥生ミックスの「日本人」になったのは実は古墳時代以降です。
思ったより後の話で、隋・唐など中国からの外圧がオールニッポンを生み出す理由になったのは想像に難くありません。
なので「和をもって貴しとなす」という聖徳太子の十七条憲法は、縄文人・弥生人・渡来人が混在する当時では「仲良くしないと国がなくなっちゃうよ」という、ものすごく切実な訴えだったと思います。
現代では、「日本人は議論が下手くそ」というか好きじゃない民族だと言われまして、その例えとして「和を重んじる」というのがありますが、ちょっとその時代の使い方は違ったもしれませんね。
遥かに時代を下って幕末の頃になりますと、あれだけ日本国内で言い合い、斬り合い、憎み合い、外国をバックにつけて戦争したのに国が分裂しなかったのは奇跡のように思われますが、もしかしたら「和」の考え方が遺伝子の奥底に残っていたのかもしれません。
大げさな話になりましたが、SNS時代における日本人の議論ということを考えていきたいと思っています。昨今のSNSでは議論の名の下に感情的な意見や誹謗中傷があります。さらにフィルターバブル現象によって、どんどん分断と極端が進む傾向も見られます。じゃ、みんな共感と同調だけを目指せばいいのか?それもまたおかしい。気持ち悪い、変な力を感じてしまうでしょう。
映画みたいなものの感じ方が本来、同じであるはずがない。みんな違う。
“議論が下手くそな日本人”にあった、違いを愉しめるようなコミュニティがあるといいですね。
聖徳太子の考える「和」をもう少し探ってみたいと思います。