憧れる日
夜、こどもたちを連れてスーパーまで散歩がてらアイスを買いに行った。
ここ最近暑すぎるので、毎日強制的に会社に行かねばならない私を除いて家族の誰も家から出ない。7歳5歳のこどもたちはそれぞれ小学校と幼稚園の夏休みだし、妻はずっと編み物をしているし。
日用品の買い出しとかそういう最低限の外出しかしていないと人はどうなると思いますか。それが去年まで学童や保育園からしょっちゅう貰ってきていた病気を全然貰わなくなるんですね。不健康な生活をすることが結果的にわが家の健康につながっているという不健康健康法が実践されているわけなんである。
しかし健康すぎるのも不健康だろう(?)と、私は夜の散歩に誘った。スマホで気温を見たら29℃とそれでも暑かったが、歩くとなかなか気持ちよかった。スーパーまでの途中に小さい公園があり、こどもたちはそこをぐるぐると走っていて楽しそうだった。どんどん疲れなさい、と思った。ドッグランに連れてきた飼い主の気持ちに近いかもしれない。
ちなみに妻も運動不足だろうし一緒にどう?と誘ってみたが「私は編んでるからいい」と編み物部屋へ消えていってしまった。動かざること山のごとし。そして妻はこどもたちをシャワーに入れる時もパジャマ取ってくるね~と言い残して消え、なかなか戻ってこないので様子を見に行くと編み物部屋で編んでいた。「つい編みたくなっちゃって」と言っていた。編み物すること火のごとし。
でもこういう妻をそばで見てると、ちょっと憧れる気持ちもある。心から好きなことをずっとしていていいなあと思う。ずっとしたいと思えることを見つけるって簡単なようでこれほど難しいこともないだろう。35年も生きていながら私にはわからない。このままそのなにかを見つける前に死んでしまうかもしれない。
自分にとって妻の編み物にあたるようなものはなんだろう。そんな風に考えていたら、妻に「あなたにはnoteがあるじゃない」と言われた。うーん、と思う。妻がイメージしていることはわかるけど、でもやっぱりなにかが違っているような気がする。
妻にとっては毛糸を編んでいるその時間が至福なんだろう。この時が永遠に続けばいいと思うような。でもnoteを書いている時間ってそうじゃないもんなあ。もし文章を書くことが本業になってフルタイムで机に向かっていたらむしろ苦痛になりそうだ。ちょっとだけだから楽しいと思えてるような気がする。
それとも、私の思い込みに過ぎないのだろうか。隣の芝が青く見えるだけで、妻も苦痛と戦いながら編んでいるのだろうか。
気になって妻に、編んでいる時間って何を考えているの?と聞いてみた。妻は少し考えて、「ここの編み目はこうやって、次の編み目はこうやって……みたいなことかな」と言った。「あ、あとずーっと同じ編み方でいいところは無心。韓国ドラマとか見てる」だそう。
それって苦痛じゃないの?と聞くと、妻は全く想像しなかった質問をされたように「なんで?」と聞き返してきた。全く言っている意味がわかりませんが?という無垢な顔だった。やっぱり私は妻が羨ましい。