自己満2.0
最近考えることについて更新しようとしてからなかなか進まず。
考えてはいるけど、長々しくまとめることは気が進まない・・・
ってことでちゃっと書く。ツイッターのように。
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今回は自己満ってそんなに悪いことだろうか?って話。
いろんな人と話していると、挑戦している人とはよく、
取り組んでいることに関して
結局は自己満だよねっていう結論に達することが多い。
実際私もそう思うんだ、
好きだから行動している、好きが原動力になって行動している
そういうことが私の中でたくさんある。たぶんみんなそう。
けど、世間一般には自己満って毛嫌いされている。
自分以外の誰か・何かのために行動を起こすとき、独りよがりの考え方での行動は結局対象のためにならなかったり本来の目的達成できない、だから無駄・非合理・非生産的だと。
たしかに例えば千葉に災害ボランティア行ったとして、自分が良かれと思って勝手に電気使えないのに扇風機100台とか持って行ってもそれは確かによくない自己満である。
もちろん客観しなければならない時は客観し、必要な行動をすることが大切だ。
けど、言いたいのはそういう自己満ではなく。
私はそれと、また違った自己満があると思う。
それがさっきの、好きだを原動力にした行動での自己満で
つまり主観がベース・動機になっているもの。
それにおいて客観はあくまでもそれを整理するためのもの。
別名・おせっかいとかいうのかな
例えば、
• 家族の喜ぶ顔を見たいから玄関の掃除をする
• 恋人の感動する顔を見たいから徹夜でマフラーを編む(ふるいw)
• 子どもの頑張っている姿を見たいから運動会で最前列で応援する親
そこに客観が入ると、
• 帰ってきた家族に靴の消臭剤のにおいに文句を言われる
• 「夏場でまだ暑いのにマフラーはいらないな」
• 子どもは親が目立ちすぎて恥ずかしくてトイレから出てこない
みたいなかんじになってしまって、行動した人が泣き寝入りする羽目になるのだ
そういうことが、この世の中でしょっちゅう起こっていると思う
行動している人に対して行動してない人が自己満だと叩き潰す現象。
行動している側とそれを見る側で求めるものが違うことから生まれるすれ違いだろう。
行動を見ている人はその行動の結果に期待をし
行動している人はその行動すること、に価値を置いている。
だからこれをはじめから生産的かどうかという問題にするのでは話にならない。
私の願いは、この自己満のすれちがいがなくなってほしいことだ。
自己満という言葉には二つニュアンスがあるのではないか
どちらも主観が先に動いて行動する
一つは結果に価値を置く。
もう一つは行動していることに価値を置く。
その行動を客観視しすぎた外部の人が非生産的な自己満だとつぶして、
好きだという心がなくなってしまうことがある
その行動の先にあったかもしれない成果まで壊してしまう
それこそ非生産的な行動とさえ思う
客観的なことを言うのであれば、それなりにその想いだけは壊すべきでない。
・・・・・あ~~めんどくさい、自己満だっていいじゃない、
自己満という言葉におびえずにもっと堂々と動けばいいじゃない!!!
周りの人はその行動の素となった想いをリスペクトしよう
そうすればあなたはつぶしにかかっているのではなくアドバイザー。
どうか二つ目の自己満を、理解し大切にしあう人が増えますように
行動・挑戦に、もっと前向きで優しい社会がいい。
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ちゃっと書くつもりがちょっと長くなってしまったしかなりまとまってない気がする!
まあこれも自己満。書けばいいのよ。