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私は、陰謀を企んでいるのかもしれない。



最近、いや、結構前から環境問題って話題だったよね


シェア冷蔵庫の構想を始めてなにかと多く考えるようになった自然環境の問題
国際的な問題の一つで、様々な国が対策を打ち出していたり、企業や個人が活動したりしているのを自分なりに学んできた。

パタゴニアやスターバックスなど、世界的大企業の動きはとても印象的。

パタゴニアは

”私たちは、故郷である地球を救うためにビジネスを営む。”

と存在意義を定義しているくらいだ。

スターバックスも、いち早く紙ストローを採用し、日本での脱プラへのアクションの火付け役となっている。


環境問題の話は私が小さいころからさんざん言われてきていて、なんでもエコだエコだ、と耳タコだったけれど、最近になって、やっと人々が大企業でも個人でもこうして効果的な取り組みへと動き出した気がする。



そんな時、環境問題について、外国の事例から学んできたことからふと疑問に思ったことがあったからその場でなんとなくツイートしてみた。
そうしたら、フォロワーさんのリプからなるほど、と学ぶことができたのでここで書き残しておきたい。


(前提として今回書くものは全ての日本人に通じるものとか、
全ての欧米人に通じるもの、とは断言しないものです。
研究者ではないので、認識が違う部分あるかもしれません。予めご理解いただけると幸いです。)



さて、私の疑問はこれ。


マレーシア留学時代に、日本の宗教観について少し勉強した時に
日本には自然崇拝という考え方があると知った。

自然が起こす天災や天気は神様の仕業、人間はそれに従うという考え方。

日本が自然崇拝の考え方があるのは古来から天災が多かったから定着したと言われている。
例を出すならば、天気の子もそれを象徴するモノだと思っている。天気の子が神様とのつなぎ目役で、神様にお願いして天気を操ってる超越的な存在。私は天気の子を見た時に、これはとても日本的でただのファンタジーに思えなくて、その夏ちょうど千葉などで大きな台風がきた時は、どこに天気の子行っちゃったんだろうと思ってた。私の中にも自然崇拝的な考えがあると自覚した瞬間だった。

また、これは自然のものに感謝するココロがあることが特徴である。
いろんな地域で秋になると収穫祭をやったり、お花見、お月見など年中行事は自然に関わるモノばかりだ。また、『いただきます』は外国にはない挨拶。自然の恵みを頂くことに感謝することは日本人の日常に溶け込んでいる。


だがしかし、情報リサーチしている中で、その考え方が定着している日本では欧米と比べて環境問題に対しての動きがとても遅いし、動いているのは本当に一部だけだと感じた。
自然をベースに生活している民族なはずなのに、なぜ環境問題に対しては遅れを取っているのだろう、矛盾ではないのか?と疑問に思ったのである。



これにリプライしてくださった方がいて、私はハッとした。


リプライは沖縄の、久米島ぐらしのいしおさんから。




むしろそれは欧米的な自然は人間がコントロールできる思考、人間至上主義だからなのではないか、と。
自然破壊を起こしたのも、治すのも人間がすることで、近年の地球温暖化も人間のせいだから、人間が何とかして治さなければならないということ。

欧米では多くの団体、企業、個人がアクションしていると私はリサーチしていて感じている、ここ最近日本でも取り上げられるようになったSDGsは4年以上前の2015年に国連で採択され、すでに始まっていたもの。

日本の自然崇拝と欧米の人間至上主義は、自然に対して、受け身か能動的かという違いである。

自然を相手にしている農家さん、漁師さんがポイ捨てすることから見えるように
自然崇拝の裏を返せば
個人が自然に対して影響力を持っているとは考えにくいってことだ
自然環境の悪化も神様のせい、、とまではいわないけれど
少なくとも他人行儀に捉えがちなのだろう

もしかしたら日本の一部の人は潜在的にそういう価値観があって、
アクションする選択肢がそもそもないのでは、と理解したと同時に
それならば欧米的な価値観の押し付けではいけないと思った。

でも、私は環境問題に対して、個人が意識して行動して自然環境改善へ力を入れていかないといけないと思っている。
目に見えて、プラごみや汚染水、二酸化炭素という、人間の無駄の多い生活が悪化を引き起こしているから。


ほう、じゃあどうするね・・・


ただ、振り返ってみると、日本の自然崇拝からの自然とともに生きていく力がすさまじいことを知れる。魚は干物にしたり、野菜は漬物や発酵させたり。保存させるプロだったんだよね。保存する文化があるのは、高温多湿な気候だったからって聞いたことある。

これって、すごいポテンシャルだよね。

すぐには捨てずに保存して使い切る工夫を昔から日常的に当たり前のようにしてきた。

それって、別に環境を改善するためではなく、

食べるためにしている工夫である。

うん、これだと思うな、

日本に住む人々が自然環境やばい!なにかしなきゃ!と自分事になりにくい民族性だと仮定するならば、
無理のない、ポジティブな選択肢を日常に拡げる必要があると思う。


使う人が選択したサービスや製品を使った結果、環境によいモノだったという流れになるべきだ。
例えば自然環境保護のため、高いけどオーガニックの糸を使用したタオルを無理して買おう、ではなくて
なにげなくふわふわで好きで使ってたこのタオルは実はオーガニックだった・・・!みたいな。

言い方あれだけど、
つまりいかに日本人をだませるかどうか。その観点が、これから必要なのではないかなと。

社会問題に関することになるといつもネガティブなことから始まったりするので、そういうポジティブな入口から考えられるようにしたいな。

そして、それらにいいね!と賞賛できる雰囲気を、ちょっとずつ、まずは自分の半径2メートル以内で作りあっていきたいな。


私は、そういうサービスや製品を選びたいし、自分からも作ってみたいと思っている。
現にたくさんあるよね。
ただ時々、ソーシャルグッドのきらきらさがあって眩しい感じがする。


もっとな、そこらへんにあるものなんだけど、裏では地球環境に良いことになっている仕組みがあるものを。

ある意味、私は、陰謀を企んでいるのかもしれない。


Mayu


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