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映画感想文「missing」

石原さとみの快演との評判と聞いて鑑賞。

「missing」欠けている,見当たらない;行方不明の,失踪中の;欠席している

娘が失踪してただでさえ気が滅入ってる家族に、「ライブ行ってたから育児放棄」「弟が怪しい」などと、わざわざ家族が開設してる捜索協力のサイトに書き込む人。それも、数件とかのレベルじゃない、沢山の人が攻撃的な投稿を綴る。
子が誘拐されたご家族だけじゃない、世の中でこういった事件に巻き込まれて個人名が世間に晒されたご家族は、多かれ少なかれこんな想いをされてるんだと心が傷む。
人の明らかな悪意に触れ続ける日々は、本当に心が消耗されると思う。

話は脱線するが、今日、外出先でトイレに行きたくなった。
ちょうどそのとき、飲食をしていたその某チェーン店で行こうかと思ったけど、不衛生そうだと思ってやめた。
別にお店が汚かった訳じゃない。でも、人は、「個人が特定できない」と鷹を括った途端、雑な行動を取るように思う。
この店のトイレも、店員の目の届かないところにあることや、店舗数が大きくて不特定多数の人が利用しているだろうことを理由に、私は(トイレの中を見た訳じゃないけど)その店でトイレに行くことをやめた。

SNSもおなじ。
不特定多数の人が利用していて、匿名性が高い。
「きっと個人名が特定できる状態なら、その発言をしないだろうな」というような罵詈雑言が平気で飛び交う。

いつでもどこでも世界中の情報にリーチできて、便利。
あらゆる人の経験や言葉や意見に簡単に触れることができ、救われた人も多分沢山いる。
でも、人の心って昔と比べて育っているか?
世の中への不満を、こういうパッと目についた、弱っている人々に雑に送りつけることが可能になった時代。
SNSにとめど無く流れてくる「踊り狂う人々」の動画を見ている時間、昔はどうやって過ごしていたか。もっと生々しい、人間らしいぶつかり合いをしていなかったか。

もっと想像力を働かせて、被害者に、時には加害者家族の気持ちに想いを馳せて、せめて寄り添いたいと思いました。
※幼稚園の絵本、小学校の国語とかで習いそうな当たり前のこと。言ってて恥ずかしいくらいに。

映画としては、人物を撮るときのカメラワークが全体を通して手ぶれしていて、切り取られた映像じゃないことを表現しているようで、臨場感があってよかった。
(景色撮りは脚立使ってる感じで、ブレがなかった)

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