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リリー•フランキー「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」読後感

この先、こんなにも静かにただひたすらに涙が溢れる作品とは出会えないのではないかと思うほどに泣いた。

オカンの性格や周りの環境、やる事なす事、あまりにも自分の母親と似ていたから、それを見るリリーさんの心情が手に取るように分かった。
貧乏性で自分のものはろくに買わずに始末ばかりして、私にはあれこれと買い与え、いつも同じ服を着ている母親に「ダサい」「貧乏くさい」なんて思っていた自分。
読みながら、そんな母親を客観視しているような気持ちになり、母親にとって自分の見てくれなんてクソほどどうでも良いのだと、子どもが幸せでいてくれたらそれが一番幸せなのだと、親心の美しさにやっと気付けた。

また、上京して間もなく、まだ物質的な豊かさにうっとりしている私に刺さった、東京を表現した以下の一文。
「東京では、「必要以上」のものを持って、初めて一般的な庶民であり、「必要過剰」な財を手にして初めて、豊かなる者になる。」

東京に出てきて、フリーランスとして働く人と出会う機会が増えた。その全員が全員、口を揃えて言う。拘束時間もなければノルマもない、規則性のない生活を送る自分と、会社員として働く人々とを比べて、自由なようで不自由だと。それを言い得た一文。
「結局、鳥籠の中で、空を飛びたいと憧れ、今いる場所の自由を、限られた自由を最大限に生かしている時こそが、自由である一番の時間であり、意味である。」

オトンとの老後同居説が無いことを確信したリリーさんが電話でオカンに発した言葉。
「それやったら、死ぬまで東京におったらええ」
息子からこれを言ってもらえるオカンは、どれほど嬉しかったか。

私の両親も小さい頃から不仲で、途中10年くらい別居していた。私が25歳になり父母が年老いてきた頃、私が実家の近所にマンションを購入したことをきっかけに、以後父が亡くなるまでの5年間を一緒に暮らした。
人生を振り返ってみても、あの穏やかな5年間が最も幸せな時間だったと胸を張って言える。

病状が悪化し、それでもまた帰ってきてくれることを願って新しい家を借りたリリーさんが、病院の枕元でオカンにかけた言葉。
「5LDKよ、オカン。広いで掃除は大変やろうけど、もう、誰が来ても恥ずかしゅうないよ。誰にも気兼ねせんでええ。オカンの家なんやから」
小さい頃から間借りをしてきた親子にとって、誰の迷惑を気にすることもなく、快適に過ごせる安住の地を見つけること。そして病に臥しても尚、こんな風に言ってくれる息子を持つ母親。こんなに幸せなことはないと思う。

私の兄もその類だが、母子家庭で育った男の子は往々にして、両親健在の家庭と比べてより(分かりやすく)母親を大事にする傾向にあると思う。そうであってほしい。物質的に豊かになった時代と言えど、いつの時代でも、親が子を思う気持ちは多分変わらない。そしてそれは多分、経験した人にしか分からない。

この感想文だけ見ると、すごくしんみりした小説のように映るかもしれないけど、ユーモアはいつものリリーさん。そして博多弁が多く、いつもより優しく感じる文体に仕上がっている。

折を見て何度でも読み返し、
自分の父母に対する態度、
好きな人や、自分の知人の父母・義父母に対する態度、
その時々で想いの溢れそうな本でした。


親や子どもとの関係性に悩みを抱えていたり、親と疎遠になっている若者に読んでもらいたい一冊。

ホッコリ(*´꒳`*)という読後感というよりは、「愛情ってのは普段は見えなくて深くて美しくて最大級に幸せで、失うのは悲しくて切なくて寂しい(号泣)、でもこんな風に無条件に愛情をそそげるって素敵だな…(号泣)」って読後感です。

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