美味しい記憶 大人の味 ペペロンチーノ
こんにちは。
今日は食に関する思い出を書いてみようとおもいます。
小学3年生くらいの頃に、イトコに連れられて遠い親戚のお家にお呼ばれになったことがありました。
そこは「叔父の実家」だったので、その場にいたメンバーは
私、イトコ3人、叔父叔母、叔父の実家の人たちで、計10人ほど。
奥さんが料理教室をされていて、お家は2階建ての1階が教室、2階が生活スペースになっていました。
2階の和室で、おじいさんがコタツで横になりながらテレビを見ていた光景が何となくセンセーショナルで、今でも覚えています。
おじいさんのことはどうでもいいんですが、
その日はイトコたちと公園でひとしきり遊び、夜ご飯をご馳走になりました。
サラダやスープに始まり、沢山の料理が並びます。その中で1番印象に残ったのがペペロンチーノでした。
調理実習台の端っこの席に座らせてもらった私は、奥さんが次々と料理を盛っていくところをずっと見ていたんです。
初めて見る大きなスパゲッティサーバー。
それでグワッと豪快にパスタを掴み、私の目線の高さでお皿に盛っていきます。その姿がいかにもかっこよかった。
ペペロンチーノは見た目も味も、当時子供であるわたしが認知していた洋食とは全く違うものでした。
なんといいますか、確実に「違う文化圏のもの」という感じ。
香りや熱、纏っている雰囲気も、明らかに子供に対するものではないな、というのを幼いながらに感じました。
材料だけで言っても、唐辛子やニンニクが入っていますしね。
当時家庭で食べるスパゲッティなんてミートソースくらいだった私は、知らない面持ちの料理が出てきて人知れず緊張しました。
けどその場の大人たちは、私の緊張なんてどこ吹く風です。
ましてや「食べられる?」なんて伺うこともなく、「はい、どーぞ!」とカラッとした笑顔で、どん!と目の前にサーブしてくれました。
子供だからって甘くみたり、歩み寄ったり、容赦したりしない空間でした。
イトコたちは馴染みのある環境なので、普通に食べ始めています。びびっているのは私だけ。もしここで、慣れない味だからといって恐々としていたら、きっと笑われてしまうんだろうな、と子供ながらに感じました。
私はそのときの持てる味覚のキャパを最大限に使って皆に追いつくべく、もしゃもしゃ食べました。大袈裟ですが、無理やり感性のストレッチを受けているような気持ちでした。
本物の道具。本物の料理方法。
それを気取っているのではなく、「普通のこととして」食べる人たち。
大人が「美味しいねえ」というものを、大人の横で食べさせてもらうこと。
それはわたしにとっての初の本格的な、洋の体験でした。
子供に歩み寄らない姿勢について、その場の大人たちはわざわざそんなことを考えていなかったと思いますが、
あの場の「もちろん、食べられるよね♪」と言わんばかりのムードは、一人前の人間として扱われている感じがしたし、いち子供をしゃんとさせました。
味は緊張と好奇心の味。美味しかったんだと思いますが、ほとんど味わえていなかったと思います。
ただ、「食べる」ということの成熟したエッセンスを分けてもらえたような気がして、あれは自然と行われた「教育の場」だったんだなと、今でも時々思い出します。
あの時の体験はきっと今でも深いところで、自分の食に対する感性に影響していると思います。
読んでいただいて、ありがとうございます。
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