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年末感、ひとりのくつろぎ時間、贈り物について学ぶこと
年の瀬。いただいた素敵な焼き菓子をゆっくり食べていたら感受性が炸裂してきたので少し書いてみる。
部屋でクリスマスっぽいクラシックをBGMに熱々のコーヒーを啜りながら、端正で繊細なフランス焼き菓子をぽり、ぽり、と齧る。
サブレはサク、薄いパイ生地はパリ、アプリコットジャムはねち、クッキーはザク、メレンゲがしゅわ、、とよい食感が楽しく、シナモンやナツメグ、チョコ、バターと不動の王座の地位を占める香りがすーっと鼻腔を抜けていくとともに、心はしーんと鎮まってくる。
消防車、救急車、窓の外の喧騒はここのところより一層はげしいが、それでもどこか夜の時空間は厳かさに近づきつつある気配がある。年末の肌感が来ている。
人にものを贈るということの本質はなんなんだろう、と考える。
わたしは人にプレゼントをするということのセンスをあまり鍛えてこなかったけど、世の中には実に自然に、相手に恐縮させず、相手が嬉しく楽しくなるようなプレゼントをすることが上手い人たちがいる。軽やかさって技術だなと思う。
贈る側のセンスのアピールになってしまったり、相手の趣味趣向を無視した一方的なものになってしまったり、なかなかバランスの難しいプレゼント界隈(そういう場合でもプレゼントをいただくというのはそれだけで嬉しいことで、プレゼントを自分からするのも好きだけど)だが、わたしが思うプレゼント上手の人は、そういう「存在アピール」というものが乗っかっていないな、と思う。
さりげなくて、力が入っていなくて、相手の「好きな世界観」をキャッチするのがうまく、その世界観に寄り添いつつも、寄り添いましたよ感も出ていない。リアクションの期待もない。
きっとそういう人たちは日頃から、人に何かをあげることを沢山されてるんだろうなと思う。場数が違う気がする。普段からアンテナを張って、そういう視点で街を歩いて、いいものを見つけては「これはあの人に良さそう」とか考えることが癖づけられているのかもしれない。わたしはついぼーっと自分の世界に篭って生きがちなので、学ぶところがある。
焼き菓子はドンズバで好みだった。
ひとりの時間に心地いいくつろぎを経験できていることにふと気づいた瞬間に、あ、これは粋なことだなぁとしみじみ思った。
軽やかにさらっと「楽しい、嬉しい」をギフトするセンス、贈り物上手な人たちを見て学んでいこうと思う。