花と朗読 制作記(10) 時空を超えた旅の着地
福岡に「万」という素敵なお茶屋さんがある。
そこの茶司・徳淵 卓さんとのご縁はミュージシャンのハルカ・ナカムラさんによるものだった。徳淵さんは「楠森堂」の実生の在来種のお茶にご興味をもたれていたので、今回の花会にお誘いしてみた。河北家のあるうきは市は福岡市内からだと車で1時間半ほどかかるにも関わらず23日の花会に出席してくださった。そして、27日には福岡の鴻臚館で徳渕さんとハルカさんが茶と音楽のイベントをすると聞いていたので、私も花会が終わった後にそちらを拝見することになっていた。
鴻臚館とは、古代に外国から渡ってきた来客をもてなす迎賓館であり、また日本から大陸へと渡る人々の宿泊所でもあった。大陸との対外交渉の窓口として、また文化交流の窓口となっていた場所である。河北家のお茶は在来種なので、その昔大陸から渡ってきた茶の実の流れを継ぐものである。だから「もしピンときたら楠森堂のお茶をそのイベントで使っていただけたら嬉しい」と徳淵さんに話していた。
花会が終わり徳渕さんと話をしていたら「楠森堂のお茶を鴻臚館でのイベントで使わせて頂きます」と言って頂き、その場で購入してくださった。
私の中では今回、「大陸」というのも大きなキーワードになっていたので、さらにコマが一つ進んだ感じがして嬉しかった。
花会が終わって福岡市内に移動していたので27日のイベントまでの時間は太宰府天満宮にでも行こうかと思っていた。ネットで検索してみると九州国立博物館では「海幸山幸—祈りと恵みの風景—」展が催されていた。山幸といえば河北家のご先祖・三毛入野命の祖父にあたる方である。河北さんも夜のイベントに来ることになっていたので、その前に太宰府天満宮と「海幸山幸—祈りと恵みの風景—」展をみに行きませんか?とお誘いしてみた。その日の朝、河北さんは徳淵さんから頼まれて花会でも使った枯れたお茶の木を鴻臚館に届けていたので、その流れで太宰府天満宮まで来てくださった。展覧会場の入り口では海幸山幸の神話が実写によって作られ映像で流れていた。私の中では河北さん=三毛入野命になっていたので山幸彦を指しては「おじいちゃんですね」、豊玉姫を指しては「おばあちゃんですね」と言っていた。河北さんはいまいちピンとこない顔をして曖昧に相槌を打っていた。(笑)
太宰府天満宮でお参りをし、九州国立博物館では「海幸山幸—祈りと恵みの風景—」展を見たのち鴻臚館へと向かった。
会場に入ると、そこには鴻臚館の遺跡があった。蝋燭の炎のような小さな電飾によってライティングされ、暗さが良い感じだった。
遺跡の上にピアノがセットされていた。その堆積した時間とそこに置かれたピアノにちょっとクラッとした。きっと、これからハルカさんの音によって過去が甦る。
ハルカさんが入ってきてピアノの音が鳴り始めた。最初は「場」と「自分」をチューニングしているような音だった。少しずつ、少しずつその堆積した時間の深層へと入っていくのがわかった。その深層に流れる音とハルカさんの音が重なった時、反対側でお茶を立てている徳淵さんの姿が時空を超えた。まるで鴻臚館で外国からの要人をもてなすために静かにお茶を立てている人のようだった。
「時」と「時」がその場で重っている。不思議な光景だった。湯の湧く音が、注ぐ音が、茶の香りが会場を埋め尽くす。この人はその昔、鴻臚館で外国からの要人をもてなし、そしてその素性を上(太宰府)に報告していたのではないだろうか。そんな妄想がよぎった。ハルカさんと徳淵さんの間の神座には河北家の枯れたお茶が祀られていた。徳淵さんはそのお茶の木のためにお茶を立て、献茶してくれた。
河北家のお茶が河北家を超えて、さらに時代を遡り鴻臚館までやってきた。そう、このお茶は間違いなく大陸から日本にもたらされ、この鴻臚館を通って、その後、河北家へとやってきたのだ。そのお茶を持ち帰った僧は大陸に渡る前に宝満山に登頂したに違いない。そして玉依姫に航海の無事を祈ったことだろう。ここ数日の出来事が一気に繋がったような気がした。
なんとも言えぬ時空を超えた福岡への旅だった。
これで終われる。やっと終われる。
ライブが終わると空港へ直行した。