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5日目 後悔したくないからといつも偽善的な選択をしてしまう…で、後悔する

大きな後悔は2つあります
1つ目は結婚したこと
結婚したがった夫と結婚という形をとらなくてもいいんじゃない?と思っていた私が結婚…
結婚したくないって言ったら彼は悲しむよね…、年齢も年齢だしね…とか考えて、自分の気持ちを偽って結婚したのは否めません
結局、いい顔して見せただけの偽善でした

子どもを産んで育てる中で、たくさんの気付きや学びがありました
結婚しなければ経験できなかったことで、ここに関しての後悔はありません
ただ、私は根っからの自由人でひとりでいる時間を大切にしたいタイプの人間
「結婚」に向いていない人間であることは、結婚生活を経験して思い知らされました

私が物心ついた時から、両親は「家のローンのために働く」ことに一生懸命で、家族でご飯を食べるとか家族旅行をするとか、そんなことを大切にする人たちではありませんでした
私は反面教師で頑張るつもりで結婚しましたが、頑張っても頑張っても、専業主婦の母親に育てられた夫や子どもたちにとっては足りないところだらけでした
頑張らなければ成り立たない家庭、頑張っても足りないと言われる生活に疲れてしまい、結局離婚…

2つ目は母親と同居したこと
離婚後7年間はひとり暮らしをしていました
いろいろな仕事を転々としながら、気ままな暮らしを楽しんでいました
母親とは、ここに書けないようなことがきっかけのわだかまりがあり、3年間は着信拒否していたくらいの間柄
ある日、子どもからの連絡で、母親がガンになって働けなくなったことを知らされました
それまでは、バリバリ仕事をしていて、収入もそれなりにあったので、着信拒否していても問題ない状態でした
これはさすがに放ってはおけないな…と、退院して抗がん剤治療に通っているタイミングで連絡をとりました

話を聞くと、貯金もかなりしていたようですが、治療費に使うことになり、家賃が高いこともあってこのままではひとりで暮らせないとのこと
できれば、あなたと一緒に暮らしたいと言い出しました
私の中のわだかまりは消えていなかったので、生活保護を申請してお互いひとりで生きて行こうと話しました
ひとりで生きて行くためにできること、全てやってみて欲しい、私もあなたを養う程の収入はないし、私はやっと家族から解放されたのだから、自由にさせて欲しいと、冷たく突き放しました
区役所に話を聞きに行ったそうですが、区が紹介してくれる生活保護受給者向けの住宅は不便な場所にあり、抗がん剤治療に通うには遠すぎるので、どうしてもそこには行きたくないと…

私にとって血のつながった母親であることは間違いなく、ひとりで亡くなることを想像したら、涙が止まらなくなりました
もう、母親への愛情などみじんもありませんでしたが、ここで私が受け入れなければ、母にはもう私以外の身寄りがありません
ひとりで泣いて泣いて泣いて、結局一緒に住むことを受け入れました
(母との電話では全く泣いていませんが…)
引っ越すつもりなんて全くなかった、狭いけれどお気に入りの部屋を引き払い、2DKの私が払える程度の家賃の部屋に引っ越しました

わだかまりがあることを母はどれだけ感じているのだろう?
広いとは言えない部屋でのふたり暮らしは、マイペースな母親に全てを乗っ取られた感じです
元々私は干渉するのもされるのも嫌いな人間なので、言いたいことがあっても口に出すことはなく、態度で示すこともありません
いつも考えているのは、この部屋でひとり暮らしができるようになったら、母親の荷物は全部処分して、自分の欲しい家具を買い直し、おしゃれな部屋で暮らすこと
母親が目の前にいるのに、こんなことを考えながら暮らしている私は、偽善者以外の何者でもありません

でも、許して欲しいです
あなたの願いを受け入れて一緒に暮らし、あなたを看取るまで突き放すことはないから…


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