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teruki1
「居心地の良し悪し」と「錯視」
先週、会社の飲み会が何度かあった。
今のチームに移ってから、職場の飲み会に顔を出す機会が増えた。
色々重なって、先週は3回会社関係の飲み会だった。
木曜日の飲み会はすごく楽しかったのだけど、別のメンバーでの金曜日の飲み会は疎外感を感じてモヤモヤが残った。
そんな中で、気づいたのが「居心地」と「錯視」の関係だ。
錯視とは、
視覚における錯覚。形・大きさ・長さ・色・方向などが、ある条件や要因のために実際とは違ったものとして知覚されること。
例えば、タイトル画像の横線の長さは同じだ。
そして、以下の真ん中のリンゴも同じ大きさだ。
だけど、目の錯覚で右側の真ん中のリンゴは小さく見えてしまう。
![](https://assets.st-note.com/img/1731847178-kOzdCETJZ7tbQh4cBl6IfSg3.png?width=1200)
今回私は、せっかく木曜日の飲み会は楽しかったのに、金曜日の飲み会の居心地の悪さで、自分が価値のない人間のように思えてしまった。
(そして週末は誰にも会わないのでネガティブを引き摺る…)
木曜日のメンバーと金曜日のメンバーは人は違うが、職位は似たような感じなのに。
1日しか違わない同じ”私”なのに。
なぜこんなに自己嫌悪になるのだろう?
そんな時に気づいたのは「錯視と同じしくみを、自分の心の中でも行っていた」ということだった。
勝手に自分の中で、自分の大きさをジャッジしてしまっていたのだ。
どこに居ても自分は自分。
勝手に決めているのは自分。
そんな風に思えたら、少し気が楽になった。