推し、萌ゆ
「恋はするものではなく、落ちるもの。」
よく聞くセリフだが、この落ちるという感覚が随分ご無沙汰でピンとこなくなっていた。
そして、私は落ちた。
深くて、
とても深くて、
上がろうとするほどに落ちていく。
私は沼に落ちた。
沼落ちという言葉は、ネットでよく見かけていた。そして何となく意味は理解していた。
でも落ちてしまうと、その言葉の意味は濁流となって流れ込んでくる。
気がつけばインスタのフォローに飽き足らず、タグ検索していいねしまくり、画像を保存するフォルダーまで作った。
動画を何度も見てため息。
ついこの前まで、休憩からニヤついて戻ってくる同僚に
「アンタ、どうせ推しの動画でも観てたんでしょ」
なんて言っていた私がだ。
推しのどこが好きなんだろうと考えていた。
そもそも、私は面食いではないほうだ。
芸能人だとスピードワゴンの小沢さんが一番好きなくらいだ。
そもそもTVをあまり観ないので芸能人をあまり知らない。
たまたま観たドラマに珍しくハマり、推しのことを意識するようになった。
もしかしたら劇中の役としての推しが好きなのかもしれない。
そうだとしても、
だとしたら、
その役を演じてくれたのが推しで良かったと心から思う。
年末の断捨離中、2年前の雑誌が出てきた。
まだ私が推しのことを知らなかった、その頃の推しがそこにいた。
同僚の真似をして、デスクに推しの切り抜きをはってみる。
15年、いやギリ10年前だったら
運命を信じただろう。
危なかった(推しが)。
でも、推しがいるというのは良いものだ。
趣味とはまた違って、
恋とも違って。
推し活を心からおすすめする。
ただし
推し活(沼)は
するものではなく
落ちるもの。
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